通勤通学

塩中学のスクールゾーンに雨傘がひしめく。チューリップの花柄。タータンのチェック。トレードマークの赤いリボンが少し褪せたキャラクタープリントに値札シールの剥がれかかった透明のビニール製。思い思いの色模様を道路幅めいっぱいに拡がりだらだらと、我が物顔に銘々帰路についていた。

二本の折り畳み傘も、そんな怠惰な芋洗いの集団で揺られていた。
茶と紺。色違いの無地の二本は、ひとつ続きの屋根のようにぴたりと寄り添う。コンパクトを追求したひ弱な骨組みは、持ち主らの歩みに揺られて押し合いへし合い、頼りなさげに撓み、軋む。その元からはよく似た声音がくすり、くすり、とささめく。
撥水加工の暗幕に匿われて、何を楽しげに戯れるやら。この雨音ならばきっと誰にも聞かれやしない。深く傾けた傘の向こうで片割れが隣の袖をつい、と一度引いたのも、きっと、誰にも気づかれない。
薄暗い路地裏に、真っ黒の制服姿は木立の中の迷彩のようによく紛れた。コンクリートの壁際へと身を寄せる。一人がずぶ濡れの学生鞄と、傘とを無造作に放り捨てると、片割れの唇へむしゃぶりついた。
ひどく静かだった。雨音がざあざあと、ラジオの砂嵐のように耳障りだ。冷えた壁に抑え込まれた少年が耐えかねたように身を捩り、ただ、それきり。

軒を伝った雨垂れがもういくつも落ちた頃、律はようやく舌を抜き取った。ふたり分が混ざりあった雫は糸を引き、アスファルトに拒まれた雨水の膜に零れて融けた。
「そっち側にいると濡れちゃうよ」
茂夫は唇の端をてらてらと濡らしながら、揺らぎのない黒の瞳を真っ直ぐ律へ向ける。
「別に。もうとっくにズブ濡れだ。そんなことより、もっと言うべきことがあるんじゃないの、兄さん」
返答は待たずに、律は茂夫の首元へと手を差し入れる。指先はよく出来た機械のように、淀み無い手さばきでカラーのホックを開いて第二ボタンまでを外す。学ランを半端にはだければ覗く首筋は薄暗がりに白く浮く。
ちょっと、りつ。
ようやくの戸惑う声は聞かないふり。Tシャツの襟ぐりを強引に引き下げると、ぢう、とわざとらしい音を立てて吸い付いては、離す。鎖骨に鼻をこすりつけて舌先で舐る。汗と雨のにおいがして、ほんのりと甘い。体操服の薄手のシャツ一枚に隠れるか隠れないかの際という際に唇を宛てがってゆく。筋一つ浮かないなめらかな肌に鮮やかな鬱血が散らされていく。
「律、ほんとうにここでするの?」
「今更なの。兄さんだって分かってて付いて来たんでしょ。それとも本当は、嫌なんじゃないの」
「嫌じゃあないけれど。でも、濡れたままだし。風邪引いちゃうよ」
「こんな普通じゃないことなのに?」
「普通じゃないくらいで嫌だと思うならこんなことはしていないよ」
「兄さんは。兄さんは……、僕が酷いことをしても叱ってくれないの」
律は自分の左腕をぎゅうと掴む。つい先ほどまで秩序を象る真紅の腕章を締めていたその箇所。今はもう解かれたはずの戒めが咎めるように締め付けてくる錯覚がして。
心が痛くて、たまらない。
「叱られなきゃいけないことなんて何もしていないと思うけれど。僕は律のお兄ちゃんだから、悪いことをしていたら叱ることもある、のかな……? でも律は、そんなことはしないでしょ」
「……もういい。後ろ向いて。壁に手、付いてて」
限界だった。精一杯の冷徹に、声変わり真際の声帯を低く唸らせ、律は命令する。それなのに兄ときたら。微笑んですらいるような、曖昧な、しかし凪いだ無表情で素直に壁へと向かった。
律はもう、考えることなんてたくさんで、無心でベルトに手をかけた。