目覚めのキスは冷徹だった。
頬に突き立てられた唇は柔らかと知っているはずなのに、刺さるほどに冷たくて、茂夫はわずか眉をひそめる。
眉をひそめただけだった。
一平方メートル余の楽園にて、主は動じる様子が無い。目を開くことすら億劫だと言わんばかりにんぅ、とだけ漏らすとふたたび、腕枕を組み直して狸寝入りを決め込んだ。
「兄さん」
見かねて声をかければ「律か、おかえり」と、ちいさな欠伸のついでみたくもごもごとぼやかれる。呼びかけを受けてなお、兄にとっての最優先事項はひとりじめのこたつに沈み込むことであるらしい。流体にとろけさせた身体をぴくりとも動かさない。
徹底抗戦の構えだった。まさに難攻不落の常春の城。
こうなった兄さんは案外に強情なことを弟である律は良く良く、知っていた。攻めあぐねた弟がむつかしい顔で思案していると、体躯の割におおぶりなてのひらがまろやかなパーに解かれ、天板をとん、とん、と叩いて誘った。
そうかなるほど。
そちらがそのつもりならば、お言葉に甘えよう。
誘われた弟は大げさに布団を捲り上げる。ファミリーサイズの四方形のうち兄の座る一辺へ、むりくりに身体をねじ込んだ。
凍てつく外気をたっぷり纏う律へ、悲鳴とも抗議ともつかぬ小さな呻きが上がる。何も聞こえないふりで冷え切った外套を着込んだまま、わざと身を張り付かせ、同じ目線まで寝そべってようやく、目が合う。
「ただいま」
「おかえり」
弟の待ち望んだお目覚めはなんとも不服そうに果たされた。寝起きのぼさぼさ髪。歪められた眉の下、薄く開かれた瞳はじっとりと鈍く、潤んでいる。への字に曲げられたかさ剥けのくちびる。不愉快を絵に描いたようにむくれる兄の様子を律はどこか愉快に見つめた。
間近に迫った兄の頬は赤かった。灼ける木炭のよう、内からじわじわと火照りを抱くような赤。頬の赤さにひとたび気が付いてしまったら、ついさきほど触れたばかりの唇が遅れてカッ、と熱を持った。
律の唇へ、いっとう熱い兄のひとしい粘膜が重ねられたのは同じ時であっただろうか。熱くてさりさりと、乾いた感触は思いの外、心地良かった。ひっかかりが痒いようなくすぐったいような、めくれた兄の薄皮を口先だけでやわく食む。キスにも及ばないような戯れに兄がもごもごとむずがるのが、愉しかった。
何だか餌付けみたいだ。律は想う。潤いの餌付け。ちいさな親鳥がヒナのためにこまかくついばみ分け与えるような、幼気な戯れ。律は、自身の与えた唾液で満たされて、ふくよかさを取り戻しつつある兄の唇がひどく愛おしい気持ちがして、執拗に撫ぜた。
溢れてしまいそうなほどのかわいいと愛おしいに、そうと目を開いた律を迎えたのは、視界一杯の兄の微笑みだった。
「今日の律はあまえんぼだね」
そして、予期せぬ指摘だった。
律はフリーズする。体を包む温もりに兄に抱き留められたのだと、遅れて理解がようやく追いつく。芯まで冷え切ったままの身体と裏腹に、ただの一言に思考はすっかりのぼせてしまって望むがまま、兄の肩へと顔を埋めた。