【サンプル】豆の本

2025年3月16日ハガレンオンリーでお出しする予定の本。

豆といえば、の豆本(B8サイズ)で作った身長差ネタのエルリック兄弟のお話です。左右どっちでも良いですが中の人はエドアル寄りの思想をしています。

身長差ネタなんて小説でやって何が楽しいんだと言われてしまえばそれまでなのですが、私がほしいので作りました。(自給自足の精神)

特段驚くようなことは起こりません。いわゆるところの「ふいんき小説」です。

 

 

この家の柱にはいくつもの横線が刻まれている。一番下に刻まれた印には、今から6年前の日付と「Al」の文字が書き添えられる。これは、僕が9歳の頃に測ったもの。ほぼ同じくらいの横並びに、同じ日付に「Ed」と書かれた印が刻まれる。この二つは、初めてこの家の玄関に入ることを許された日に、家の主が付けてくれたものだ。
僕たちには「家の柱に身長を書いて成長を記録する」なんて発想はなかったから、初めての時にはすごくワクワクした。家の主、僕たちの師匠は言っていた。
「お前たちはまだ若いから実感が湧かないだろうが、人間は来た道筋のことは容易く忘れてしまうものだ。記憶は不確かで揺らぎやすい。考えたことや思ったこと、その日生きた記録は書き留めておきなさい。それは錬金術の研究においても、生活のことでも同じさ。記録は記憶を補強してくれるし、あるいは、記憶の外からお前たちを助けるだろう。……さあ、こうしておけば、お前たちの今日という日はこの家がある限り忘れることはない。お前たちが今日ここに居たことが証明されたな。いつまでもチビスケでいないでとっとと大きくなるんだよ」
チビスケ、と言われた兄さんが、しかし師匠の強さをすっかり理解させられていたので激情を飲み込む様子を、ハラハラしながら隣で見ていた覚えがある。

月ごとに刻まれた印はじわじわと高くなっていき、半年後には僕は兄さんを追い越していたらしいことが分かる。
そこから記録は年単位で飛んで「旅」の途中に立ち寄ったという日の、今の僕よりわずかに上に、全ての印の頂点である「Ed」の印だけがある。
その日付に、僕の身長は書かれていない。

ほんの少し前の僕は、人体錬成の結果として肉体を失い、兄さんに魂を繋ぎ止められたことで、巨大で空っぽな鎧姿であったということを、ごく親しい人、具体的には師匠やピナコのばっちゃんから聞くけれど、半信半疑だ。
疑いの部分は、右手を握り込んで確かめるこの、肉体の感覚だ。
握った拳を開いて柱に触れれば、薄くニスの引かれた、木肌の感触が冷ややかだ。家屋を支える生命線である太い柱は、手のひらにどっしりとした安定感を伝える。目を閉じれば、外の通りで行き交う人の気配、それは交わす言葉や靴音だとか、クラクションを鳴らしながら道を急ぐ車の排ガスの臭いだとかを感じて、見てもいない熱気を感じて首元が少し汗ばむ。日も高く上がり、今日は身体を動かすのにもってこいの陽気だ。絶好の組み手の相手は、今は、隣に居ないけれども。
世界を察知する感触も、捉える思考も全てここにある。僕の肉体は、間違いなくここにある。そんな強い実感が「鎧の身体」とはどのような感覚であるのか、想像を阻む。
信じてやまないのは兄さんのこと。思い起こされるのは、僕にとっての「つい先日」まで、すぐそばにあった兄さんの悪戯な笑顔だ。いつだって忙しく頭で考えては手を動かし、趣味の悪いオブジェから時にあっと驚くものまで、何かを作り出そうと動き続ける様子がまぶたの裏にありありと浮かぶ。行き着いた先は人体錬成という禁忌であったけれども。あれは希望に満ちた楽しい日々だった。
実際の僕らはつい最近まで途方もない旅をしていたのだと聞かされても、実感はわかない。記憶と成長が欠落した僕にとって、思いを馳せることすら難しい。
でもあの日、人体錬成という罪を犯して「持っていかれる」感覚だけは生々しく残されていて、あれを償って兄さんは居なくなったのであろうという予測はつく。兄さんならばそれくらいのことはやってのける。そして、一度は持っていかれた僕の身体がこうして戻ってきたということは、兄さんも必ず、門を通じたどこかに居るはずだという推察ができる。これは科学的な考察だ。兄さんはどこかに居る。それは僕にとって事実だ。

「アル、そんなところで何をしている」
問いかけられて瞳を開き、振り返る。師匠でありこの家の主婦、イズミ・カーティスに低い声で呼ばれて、僕は真っ直ぐに見つめ返した。
「この柱が、この家がある限り、僕と兄さんがここに居たことが証明されるって、師匠は言っていましたよね」
「そうだ。お前の兄、エドワードは確かに、ここに居た」
師匠は僕のとなりへ歩み寄ると、柱の一番上の印を見下ろしながら、親指の先を這わせた。
「兄さんが僕をこの世に繋ぎ止めてくれたから、今度は僕の番なんです。僕は、兄さんを連れ戻します。僕の全てをかけてでも」
「全てをかけるなどと軽々しく口にするもんじゃないよ。捨て身の自己犠牲は愚かしさでしかない。思考した上で、適切な対価を選ばなければ得られるものも得られない、お前ならよく、分かっているだろう」
「分かっているからこそです。対価は探すけれど、いざという時には……」
「そんな話は……やめてくれ。エドが消えた今、お前まで失って何になる。こんな不確かな情報しかない現状で、」
「不確かじゃありません!」
僕はつい、怒鳴り声を上げていた。
「不確かなことではありません。兄さんは必ず、生きています。その事実があるから僕は、動くんです」
冷えた表情を作っていた師匠の目尻がついにじわり、と溶けて、泣き出しそうな微笑みを浮かべる。
「お前がそう言うんだから、間違いないだろうよ」
師匠は片腕で僕の肩を抱き寄せる。僕の顔をしばし見つめ、そして意を決したように眉を吊り上げて言った。
「それじゃあ、今日の特訓は少しきついぞ?」
「ええ。お願いします!」
僕は伸ばし始めた髪をかきあげて、やる気に満ちて答える。
兄さんを取り戻す。僕の中では確定している未来を掴み取るため、眼の前の課題をこなすことに専念した。

「ああ、師匠の家の柱に。そう言えばそんなこと、してたっけな」
懐かしいな、とオレが言うとアルはうん、と答えてミルクココアを少しすすった。本格的な冬を迎えつつあるミュンヘンは骨に凍みるような寒さで、隙間風の吹き込む仮住まいではこうしてよく、暖かいものを飲んでは気を紛らわせている。

あの日。しばらくぶりの再会を果たした弟はオレよりもひと回り小さく、ずいぶん幼い顔をしていて、それでもエネルギーに満ち溢れており、小さい恒星のようだった。
アルはこちらへ来てから伸ばしていた髪をあっという間に切ってしまって、赤いコートも今日の昼に、古着屋に出してしまった。なかなかカッコいいコートだったと思うのだが、アルが言うには良くも悪くも特徴的すぎて、そう高い値では売れなかったらしい。ひとつ結びの長い髪に黒のインナー、そして赤コート姿の弟と相対して、さすがのオレでも思うところが無い訳がなくて、つい、零してしまう。
「オレたち、本当にもう、何のルーツもないんだな」
「僕と兄さんが居るじゃないか。二人で居ればお互いがルーツで、故郷だよ」
「もう錬金術も、かつて生きた日々の記録も何も残ってない。みんな手放して向こうに置いてきちまったから、これからは嫌でも前だけを向かざるを得ないな」
「またこれからのことを積み上げていかないとね」
「そうだな……それじゃあ早速、やってみるか」
「何を?」
「お前の身長、測ってみようぜ」
部屋の隅においてあった旅行鞄から生成りの綿紐を取り出してきた。そこいらに引っ掛けて張れば洗濯物を干すことが出来る必需品だ。かさばるものではないしまた買えば良い。とりあえず3メートル近くはあるし、いくら身長が伸びたとしてもさすがにこと足りるだろう。再び背を抜かされるかもしれない未来を考えるのは少々、癪に触るが。
「紐で測るの?」
「ああ、精度は落ちるだろうけど、何も記録しないよりは良いだろ? さあ、立ってみろ」
「うん……」
アルは神妙な面持ちで気をつけの姿勢で立つ。紐の先端を床につけて垂らし、なるべく垂直になるように持ち上げて、頭頂に目星をつけて青インクで印を付けた。
「これで、今日の日付をメモ帳に書いておけばいい」
「ありがとう」
アルは笑って、思いがけないことを言い出す。
「それじゃあ、兄さんのも測ってあげるよ」
「オレ? オレのは別に、いいよ……」
「兄さんだってしばらく測ってないんだろ?」
「オレはもう18だから、そういうのは卒業したんだ」
「記録は記憶を助けるんだろ。測ろうよ。……あ、分かった。僕に抜かされるのが嫌なんだね?」
「チビになったくせに生意気言いやがって!」
「僕と兄さんの身長、同じ日で記録したいなあ。そうしたら今日の日のことはこの紐がある限り失われない、そうでしょ? 僕は成長期だからその日見る景色なんて毎日変わっていっちゃうし。今日の日の僕と兄さんのこと、記録したいんだ。せっかくまた、同じ世界で一緒に暮らせるんだからさ。これからだっていつまでも一所に居ないだろうし、記念にしたいなあ」
「分かった、分かったよ。測れば良いんだろ。ほらよ」
弟のおねだりに根負けして綿の紐を差し出す。アルは嬉しそうに受け取ると、さっそく背伸びをしながらオレの背の高さに赤いインクを付けた。
「これでよし、と。ふふふ、兄さんも大きくなったんだね」
「なんだよ。バカにされてる気しかしないぜ」
「鎧の姿で居たときのこと、思い出してからさ。あの頃は巨大な鎧から兄さんのことを見下ろすばかりだったし、組手をすれば僕のほうが強いし、生身の兄さんは脆くて危うくて、負けず嫌いで無鉄砲で考え無しですぐに一人で突っ走るし。でも、いつだって兄さんは僕の兄さんだったんだ。母さんが亡くなる前も、その後の旅路だって、今もそう。でも兄さんを見上げるのって久しぶりで新鮮で、なんか良いな」
「ほとんどけなされている気がする……つまり何が言いたいんだよ。いい加減に怒るぞ?」
「身体の歳は離れちゃったけど、また会えて、良かった」
「それは、そうだな」
アルが身を擦り寄せてきて脇腹が暖かいので、おでこに流れる前髪をかき上げてやると、琥珀色の瞳がこちらを見上げて潤む。ニカ、と笑ったあどけなさの残る口元と相まって、庇護欲を掻き立てられる。こいつはもう、鉄砲玉も刃物も通さない鎧じゃない。小さなまち針一つで鋭い痛みが走り、血が玉となって吹き出す生身なのだと思うと、たまらない気持ちがする。守ってやらなくちゃならない、まるで目も開かない子犬みたいだと思った。
「兄さん……?」
オレの胸の中で不思議そうにアルが呟く。気がついたら覆いかぶさるように抱きついていた。縋るように腰に手を回して、謝罪する。
「アルフォンス、もうお前を消させはしない。さんざん振り回してすまなかった」
「何言ってるんだよ。僕は兄さんに振り回されたなんて思ってないよ。僕の方こそ、兄さんに助けられてばかりだ。そんなことより兄さんはもう、どこにも行かないでね。門を通って、こんな遠い所まで来て。追いかけてくるの大変だったんだよ」
「それは……否定できないか……」
「全く、僕が見てないとどんな無茶をするものか、危ないったらないんだから。兄さん、もう僕に黙ってどこかへ消えないでね」
「ああ、分かってるよ」
「いまいち信用できないなあ」
「そんなにオレ、信頼されてない?」
「うん」
「何でだよ……」
「僕はもう、旅の記憶が戻ってきてるんだ。あれだけのめちゃくちゃをしておいて、本当に『信頼に足る人間です』って、胸に手を当てて宣言できる?」
「そこまで言わなくたっていいだろ?」
ずいぶんと頑なな弟にたじろいでしまって目を逸らすが、おいそれとは逃がしてもらえずに抱きつかれて、こちらを真っ直ぐに見据えて言うのだ。
「もう離れ離れなんて嫌だよ。これからは一緒だよ」
アルに抱きつかれて、それを手で遮りながら言う。
「お前はお前の人生を生きろよ」
「僕、兄さんと一緒がいいよ」
か細い声ですがりつくアルを引き剥がして、目線を逸らしてオレは、重ねて言う。
「いつまでも男兄弟で一緒にいたって仕方ないだろ」
「兄さんは素直じゃないなあ」
「そんなことねえよ」
「アメストリスに戻ったときもそうだったよね。一人でこっちの世界に戻ろうとして。兄さん一人でどこかへ行くだなんて、そんなの僕が許さない」
「そうだな。アルが追いかけてきてくれたのは、確かに、嬉しかった。ありがとな」
「何その含みのある言い方」
「お前もあまり、無茶すんなよ」
「兄さんだけには言われたくないっ!」
ふくれっ面のアルフォンスから離れて椅子に腰掛ける。オレは買ったばかりの手帳を出してきて、早速に、身長を測った今日の日付を書き記す。それを見て、不満そうだった弟はすっかりにこにこ顔になった。
「これからずっと身長測ろうね」
「はいはい……」
「もう、返事がいい加減だなあ」
「身長が止まるまで、な」
「うん。約束だよ」
手帳を閉じて、紐と共に鞄の中にしまう。夜は更けて、しんしんと寒さが沁み渡る。燃料を買う金も節約しなければならないし、重ね着用の部屋着を買い足したほうが良いかも知れない。
「じゃあ、もう寝るぞ」
「うん、おやすみ。兄さん」
「ああ。風邪引くなよ」

 

(新刊へ続く)

 

挿絵も入るでよ~