エルリック兄弟アンソロジー様(とらのあな通販ページ)に寄稿させていただいた小説です。
web公開許可された日時を過ぎましたので投稿いたします。
原作でも旧でも、左右どちらでも読めるようにした普遍的な(?)エルリック兄弟の小話でした。
新参者ながらこのような大規模アンソロに参加させていただくことが出来て嬉しかったです。
気になる方は上記とらのあなをチェックだぜ。
◇
エドワード・エルリックは雨に打たれながら路地を行く。
赤いコートはぐっしょりと水分を含んで黒ずみ、背中に重くのしかかる。天に垂れ込める雲のように心はすっかり暗く沈んでいたが、先程までの激昂が冷めつつあるのは事実であった。
事の発端はと言えば、弟アルフォンスのせいだ、とエドワードは思っている。
西の空がみるみるうちに厚い雲に覆われて遠雷の響く昼下がりに、宿への帰りを兄弟二人で急いでいた最中であった。エドワードが夕飯の胡桃入りライ麦パンの精算をしているほんの僅かな隙に、あんなにも大きくて目立つ、鎧姿のアルフォンスが見えなくなっていた。
この急いでいるときにあいつは何をやっているんだ、と。苛立ちを感じながらエドワードが店から出ると、ややあってアルフォンスが慌てたように駆け寄ってきた。
「ご、ごめん兄さん、待った?」
その問いかけが分かりやすく前のめりであったので、エドワードは不信感を隠さずに命令した。
「ああ、そこそこな。……なあ、アルフォンス? 鎧の中、見せてみろ」
「ええ?! 嫌だよこんなところで……」
「お前、絶対何か隠してるだろ! アルの考えてることなんてお見通しなんだよ!」
「ああ、ちょっと! やめてったら、兄さん!」
エドワードが軽業じみた動きで鋼の鎧によじ登り、アルフォンスの抵抗虚しく頭部が外される。
鎧はいつも通りの空っぽ、ではなかった。薄暗い鋼の胴体の中から、一対の金色の瞳がこちらを見上げている。その獣は酷くか細い声でにゃあ、と鳴いた。
「やっぱり! こういう時のお前はいつもこれだ。オレ達は旅をしてるんだぞ? 猫なんか飼えないって言ってるだろ!」
「それは分かってるよ、でももうすぐひと雨来そうだし、ほら。この子、怪我をしてるんだ」
そう言いながらアルフォンスは自身の胴体の鉄板を外して猫を取り出す。
まだ幼いのだろう、薄汚れて痩せた雌のキジトラ猫だ。指し示された右前脚はざっくりと毛皮が切れていて、赤黒い湿った傷が顕になる。その生々しさに一瞬はたじろいだエドワードであったが、直ぐに眉間にシワを寄せて首を横に振った。
「だめだ。オレ達が助けたって一時凌ぎにしかならないだろう? 死ぬまで面倒を見てやれないなら手を出すべきじゃない」
「でも! せめてこの街にいる間に、怪我が少しでも良くなるまで、助けてあげたって良いじゃないか」
「オレ達にそんな時間の余裕は無い」
「調査の間は宿においてあげれば問題ないよ」
「だめなものはだめだ! オレはその猫を部屋には入れない。今すぐ! 元居た場所に返して来い!」
断固として言い放つ兄に対して、この日ばかりは弟も意固地になってしまったのだ。
「ばか兄! ぼくはこの子を連れて宿に帰るよ。そこまで言うなら兄さんが宿に帰らなければ良いだろ!」
「あーあー! そうしてやるよ!」
エドワードはそう吐き捨てると弾けるように駆け出していった。
しまった、言い過ぎたかもしれない。
アルフォンスが後悔した時には既に兄は路地を渡り、角を曲がり、すっかり姿は見えなくなっていた。
「……ぼくたちは帰ろっか」
アルフォンスは猫を鎧の中に戻すと、ぽつり、ぽつりと泣き始めた空の下、肩を落として家路についた。
ずぶ濡れのエドワードは公園のベンチに座って、考える。
別に、弟の意志を否定するつもりなど無かった。ただ、エドワードは急いでいた。このまま賢者の石も、もしくはそれに代わる対価も、何も成果を得られないまま年月を経る訳にはいかないのだ。一刻も早く弟の身体を元のように戻してやりたい。そのことしか頭になかった。
「オレ、焦り過ぎなのかなあ」
額に張り付いた前髪をかき上げながら独り言を言う。すっかり気持ちもしぼんでしまって、よっこらせ、と自身を鼓舞しながら立ち上がる。中身までグズグズに濡れてしまったであろうパンの入った紙袋を手に取り、街中へと向かって歩き出した。
「ただいまー……」
そろり、と中をうかがうようにエドワードが部屋へと入ると、鎧の弟は砲弾のごとくすっ飛んで来た。
「どこまで行ってたんだよ! もう外も真っ暗なのに。ひどい、びしょ濡れじゃないか。ぼくが、ぼくが、言い過ぎたから……」
「オレの方こそ、その、ごめん。……これ。要るかな、と思ったから。ほら、使えよ」
そう言ってエドワードは視線を泳がせながら小包を手渡す。アルフォンスはキョトンとしながら受取り、中身を見て驚いた。
「化膿止めの軟膏と包帯にテープ……ミルクまで? これを、兄さんが買ってきたの?」
「ああ。まあな。あいつ、手当してやろうぜ。ただし! 今回だけだぞ」
「ありがとう! でもその前に……」
アルフォンスは薬屋の袋をとりあえずは机の上に置くと、濡れ鼠の兄へと向き直った。
「兄さんを乾かさないと。ほら、服脱いで。まだきれいなタオルあったはずだから。髪も拭いて。ぼく、お湯沸かしてくるね」
「わりいな」
エドワードは弱ったようにへらり、と笑った。
エドワードはシャツと短パン姿になっていた。湿った髪を一つに束ねて、水分をぐっしょりと含んだパンを齧り、弟と猫を眺める。
キジトラ猫はと言えば、アルフォンスの手によってすっかり拭き清められて、本来の金毛がさらさらと輝いていた。腹を満たし、さして嫌がらずに軟膏を塗られて包帯も大人しく巻かれて、今はアルフォンスの腕の中へと丸く収まっている。抱きかかえているのは空洞の無機物だと言うのに、猫はすっかり甘えてごろごろと喉を鳴らしていた。
「調子の良い雌猫だなあ」
「かわいいね」
エドワードの皮肉をまるきり無視してアルフォンスは嬉しそうだ。
「情が移るから程々にしろよ」
「今この時かわいがる分にはいいだろ」
アルフォンスは猫の喉をこしょこしょ掻いた。その動作は慈愛に満ちていて、つくづくこいつは優しいやつだとエドワードは思う。
そしてふと考えてしまうのだ。
いつの日か、晴れて身体を取り返したならば、弟は誰か女を愛して、家庭を持って幸せに暮らすのだろう。旅はいつか終わる。兄弟はそれぞれの道を行くだろう。
そんな喜ばしい未来の妄想も、今ばかりは、少し寂しいような面白くない気持ちになっていた。
「ほら、兄さんもいい子してあげなよ」
アルフォンスが猫を差し出して促してくる。
「オレは別にいいよ」
「せっかくだから、ね?」
「仕方ねえな……」
エドワードが機械鎧の右手を伸ばす。すると、金の瞳は三角に吊り上がり、金毛を逆立てるとシャァ! と一喝、怒りを顕にした。
「やっぱりこいつかわいくねえ!」
「アハハ、かわいい。兄さんみたいな子だね」
「どこがだ! どういう意味だよ!」
エドワードはすっかり気分を害してそっぽを向く。その背中へとアルフォンスは語りかける。
「ぼくはね、兄さんと一緒に旅をするのが楽しいんだ。元の身体はもちろん取り戻したいけど、こうやって兄さんと一緒にいるのがとても、嬉しいんだ。兄さんと一緒なら、きっとどこにだって行けるし、何だって出来るから」
「そうかよ」
「兄さん。ぼくは今、幸せだよ」
「ふん……」
アルフォンスが語るのを、エドワードは話半分に聞き流す。食べ終えたパンの袋をクシャクシャに丸めてくずかごへと遠投すると、狙いを外して床へ落ちた。どうも上手くいかない今日という日にため息をついて、改めて拾い上げると、今度こそ確実に捨てた。
雨はまだ止みそうにない。安全な家屋で二人と一匹は身を寄せあい、ひとときの団欒を過ごす夜であった。