仲良し兄弟

午後17時半。ようやくの下校を見計らって大粒の雨粒を落とし始めた曇天の元、足早に駆ける。こんなのだから置き傘が減らなくて、会議も延長されるのだ。律は心のうちで舌打ちをした。

パンクしそうな昇降口の傘立てと取り違えられた傘、そして紛失の絶えない雨具の管理とが、まさしく律の下校を遅らせた真犯人だった。
こんな季節なのだから名前を入れた折りたたみ傘を備えに持ち歩けばよいだけの話じゃないか。僕みたいに。そうは言っても全校生徒規模ではむつかしいことらしく。やれ傘立てが狭すぎるのが間違いだの小雨くらい我慢しろだの。挙句の果てには、ほんの一時の季節の問題くらい見過ごせば良いんじゃないかとか、議題の意義から問う声まで挙がったりして。とても建設的とは思えない意見が相次いで、ただ時間だけがぐずぐずと削られていった。でなければ、こんな風にわざわざ、雨にうたれずとも済んだだろうに。泣き始めた空みたく、どうしようもなく収まりつかない苛立ちでアスファルトを蹴りつけて家路を急いだ。

そんな折であった。真黒い疾風が突如、手元へ飛び込んで来たのは。
「よかったあ……! 律も、いま。帰り……だったん、だね……!!」
いかにも全力疾走してきましたとばかりの息も絶え絶えに、喜色満面弾けさせるその声は、世界でいちばん聞き慣れたものだった。

兄さんもずいぶんに遅かったんだね。
雨粒なのか汗なのか、もみあげの短い毛先に大きな水の粒がいやに光を集めるのに呆気にとられながら律はぼんやり、口にした。
「いきなり降ってくるんだもん、どしゃ降りになりそうだから慌てて解散になったんだ」
ああ良かったと、繰り返し口にしながら茂夫はごく当たり前に、律の傘の持ち手に手をかける。律の掌ごと、おおい被せて。鼻先へと間近迫ったよく知るひとの、知りすぎるほどよく知ったはずの指先は、たいそう埃臭かった。
律は反射的に身を捩った。決して雨傘の庇護から兄が外されぬよう、気を配りながら。茂夫から持ち手を奪うため。
「そういうのは。好きな子に取っておきなよ」
かげやまりつ。そう記されたお名前テープが掠れて剥がれかかって、端がチリチリと巻いているのを親指で撫で付けながら、律は言った。
ナイロン傘を狂ったドラムのように雨がかき鳴らす。兄の言う通りあっという間に本降りとなった雨から、不安から。不都合な全てから身を護るため、律は諦めるようにまつげを伏せた。

「兄弟だからノーカウントだよ」
存外兄は現金なものだった。
こちらとしては聞こえていないことすら、願っていたのだけれども。
狭い折り畳み傘のスペースを最大限に活用すべく、兄は身を寄せてきた。ズブ濡れのカッターシャツを透かして、慣れ親しんだ体温が心の芯まで暖める。
「そうだね。だって『仲良し兄弟』、だもんね?」
いつの日かの自虐のつもりでつぶやいてみると、兄さんはそうだとも、と、仰々しいばかりに頷いた。大真面目なその姿がおかしくて、掌を覆う埃っぽく乾いた手を振り払って、改めて重ねてやる。せっかくだから指までしっかり、絡めてやって。
「ちょっと、やめてよ。手なんて繋ぐの? 」
身を捩って逃げる兄へ、肩を寄せて追いかける。そりゃそうだ、僕たちはこいびとごっこの相合い傘じゃないんだから。分かっているけどこれは律の、ちょっとした復讐のつもり。だった。

狭苦しい折り畳み傘をきしませてささめく兄弟は、いやに楽しそうにけらけらと。梅雨の家路を競っていった。