傀儡の願い

フォロワーのツイートから着想を得て書いた「最上ワールドで影山律の役を与えられた最上の中の悪霊が名前に引っ張られて影山茂夫に執着する話」です。直匙志万也さんありがとう!
モブ律、律モブ特に決めてないです。
兄弟の民が書いたから兄弟色が強強になりました。

 

 

 

 

 

 


幾星霜、最上という悪霊に捕らわれ続けたであろうか。私という悪霊の本来の名も在り方も全ては抜き取られ、思い出す取っ掛かりすらも、絶対者に奪い去られた。

 再び私という存在が引きずり出されたのは唐突なものだ。気が付いたときには既に、年端も行かぬ少年の姿を与えられていた。虚ろな傀儡と化した私には「影山律」という名を充てがわれている。
 以来私は、影山律だ。

 新たな私の日常は平穏で、至ってつまらない精彩を欠いたものだ。
 この男子児童の知能はずいぶんと高いらしく、中学校から課される数学やら国語やらといった学科科目は蝶結びを解くように容易く理解ができた。それに飽き足らず、学生という狭いコミュニティで無闇に珍重される体育の技能も高く、徒競走をでは疾風のように駆け抜け、マット運動や跳び箱といった個人種目はもちろん、バスケットボールやバレーボールもエースとしてこなす。ルックスは清潔感あるシャープな顔立ちで、女子からの支持も厚い。
 中学生男子が欲しい全てを持っているような人物像。それで居ながら影山律は空っぽだった。何一つ心躍る事象は無く、大切にしたいと思う物事も無く、他人からの称賛を無感情で受け取る。他人を模した人生であろうと役割に価値を見いだせないというのは中々に辛いものがある。
 
 無いはずの心がじわじわと蝕まれるような不快感を抱えての生活は、半年ほど過ぎた頃に爆発によって終わりを迎える。
 それは爆発としか言いようのない出来事であった。おそらく爆心地の空は赤く焼け、地響きが起こる。猛り狂う絶対者にして、「影山律」の創造主から命令が下る。
 彼を破壊しろ。打ちのめせ! 
 強い信号にもはや人の姿を保てず、無数の同類と融合して霊の塊となって雪崩れ込む。流し込まれた強い衝動に身を任せる中で、ほんの一瞬だけ、学ランの襟から覗く色白のうなじを見た気がする。圧倒的な閃光が走り無情な程の力量差で切り裂かれて。私が覚えているのは、そこまでだ。

 私が意識を取り戻した瞬間にはただの奇跡であると思っていた。しかし次第に意思が撚り合わされ、自我を獲得していくとやがて強い未練を覚えることに気付く。
 あの時の、あのうなじの主を知りたい。それだけの、目的のため。何処とも知れぬ雑草の根本で微粒子レベルの存在から、私の執着が始まった。
 霊の世界は弱肉強食だ。今の私はノミの霊すらも脅威である。目的のためには消されるわけにはいかないかった。時にはノミレベルの相手に怯えながら、時には嵐に消し飛ばされそうになりながら、大気中のわずかな霊素も取りこぼさぬよう血眼になってかき集めた。
ようやくのこと人間の手のひら大にまで形が定まった頃には、どれくらい時間が経っていただろうか。犬猫の霊ぐらいならば全速力を出せば逃げ切ることが出来るようになった頃、ようやく私は彼を探す旅に出た。

 かの学ランの少年は拍子抜けするほどあっけなく見つかった。潤沢で芳醇な力の気配を辿るだけで良い。その量と質は日本中、否、世界中を探しても居るかどうかと思われる物だ。
 見つけてからが問題だった。うなじの主は、無意識によるものか、住居と自身に強力なバリアを張っている。試しに家の門に触れてみたら、そのまま左の人差し指は消し飛んでいった。
 それだけではない。彼の周りにはよく緑色の悍ましい霊体が現れた。あのような姿に身をやつしているものの、本来のあれは上級に匹敵する霊だということは明らかだった。バイト先という所長はどうでも良いが、もうひとりの従業員もまた彼に負けず劣らず力を帯び、見つかるまでもなく消滅する可能性がある。
 そうだ、恐らくあれが、本物の影山律なのだろうという、少年も目にした。
 彼もまた力を持ち、姿形は私と寸分たがわぬものであったが、内情はまるで違った。確かにややクールで他人にそう懐かない少年であるようだが、その表情はくるくると変わる。特に私の「影山律」には居なかった、兄に相対した時にこぼれてくる感情のエネルギーというものは格別の甘美なものだ。甘美でいて、年頃の男児らしく対抗心を燃やしたり、年長者を羨む気持ちも見せている。楽しく生きている。一目でそうと分かった。
 そんな姿を目にするたびに私の胸にポッカリと穴が空いているような、不安で地に足がつかぬような心細さと。猛烈に燃え上がる嫉妬心が芽生えた。
 とは言え、力なき私にそれ以上出来ることはなく、彼らの視界に入らぬように後ろからただ眺め、執着を強めることしか出来なかった。

 私の存在意意義をいつも通りに満たしていたある日のことだ。通学路を彼と共に下校する、影山律が振り向いたのは。
 まずい、見つかった。慌てて逃げようとする私の霊素は全てその場に縫い留められている。中々やるものだ。憎らしいくらいに。無表情で近寄って来る影山律を見据えてから回る思考は現実逃避な称賛をした。
「あなた、最近兄さんの周りを嗅ぎ回っている霊ですね」
 否定する要素は何処にもなく、対応を一つ間違えただけで霊素の欠片も残さず消し飛ばされるのが分かっていたから。私は押し黙った。
「そんなに力もなさそうだけど、鬱陶しい……」
 影山律が手をかざす。ここまでか。観念してきつく目をつぶった。だが、予想した衝撃は来ること無く、代わりに呑気な声が聞こえた。
「わあ、この霊、律にそっくりだ」
 覗き込む少年の顔に目を見張る。会えた。ようやく会えた。と、感激したいところであったが。その姿はごくごく普通の、強いて言えばマッシュルームヘアーの少年で、一体これの何がそんなに良いのか理解が出来ず、固まった。元より、動くことは出来ないが。
「ちょっと……兄さん、こんな気持ち悪いの早く消そうよ」
「ダメだよ」
「ええ……どうして」
「だってこんなに律の姿をしているんだ。なにか理由があるはずだよ」
 そう言って向き直った彼は、尋問を始めた。
「君は何処から来たの?」
「何処に住んでるの」
「どうして霊になったの」
「仲間は? 友達はいるの?」
 彼の、柔和な表情の中に潜む頑なな決意に気圧される。頭が空っぽになってしまって、声が出なかった。
 だが、その質問は。その質問にだけは身体が反応した。
「名前はあるの」
「……りつ」
「えっ」
「私は『影山律』です」
 しまった。そう思ったときにはもう遅い。ますます不審者を見る目をして、影山律は言う。
「やっぱりコイツ気持ち悪いよ。兄さん、早めに消そう?」
 だが少年は、まるで無視してこちらを見つめていた。
「君は、君を律だと思っているんだね」
 仕方なしに、私は頷く。
「帰る場所はある?」
「これからの予定は?」
 私は、首を振った。
 しびれを切らしたのか、影山律が叫ぶ。
「兄さん、いい加減にしようよ。もしやりづらいなら僕が」
「ええ、でも悪さしないみたいだし」
「僕たちのことストーカーしてこんな姿をして、十分怪しいよ」
「そうかなあ……」
 いよいよ、ここまでだろうか。そう悟った時、とっさに口から言葉が飛び出た。
「教えてくれ、名前を。せめて名を教えてくれ」
「名前なんて悪用する気だよ、兄さん、こんなやつ無視して、」
 割入る影山律を他所に、彼はこちらをまっすぐに見て、堂々と答えた。
「僕は茂夫だよ。影山茂夫」

 茂夫。私の、否、僕の兄の名は、影山茂夫。どうして今まで思い出せなかったんだろう。胸に去来したのは暖かさと、強烈な嫉妬。そしてそれらを覆い尽くすほどの幸せだ。兄さん。僕に欠けていたもの。僕の大切なものは、兄さんだった。
 ピースが埋まった僕は、その霊は。
 幸福の中で自然融解した。

「えっ今兄さん消した?」
「いや僕は何も……」
「ええ……余計に怖いよ」
 律はうげ、と顔を歪ませた。
「でも……兄さん。今度からは僕に似てるからって変な霊を助けようとしなくたっていいからね」
「どうして?」
「どうしてって……」
 本気で分からないというように、茂夫は続けた。
「律の姿をして自分を律だと思っている存在なら。僕は助けたいと思うよ」
「危険だよ」
「出来ると思うから」
「……そっか」
 言い切った兄に、律はそれ以上返す言葉を失った。
「帰ろっか」
「うん」
 兄弟は歩き出す。共に住まう家族の、同じ家へと向かって帰っていった。