一緒に帰ろう

火照る頬に凍てつく地面が心地よい。よく見知った家の門もこうして見上げてみてみれば、随分珍妙に見えるものだ。見当違いの感想を考えるともなしにぼんやりと、抱く。
ひどく眠たい。瞼が鉛のように重い。ひびだらけのアスファルトが底なし沼のよう。飲み込まれてどこまでも、泥の眠りへと沈んでゆきそうな身体を、懸命にもたげる。
いまにも霧散しそうな意識を捕らえたくて門の鉄柵へと手をかけた、その振動でちょうど、すっかり、駄目になったらしい。ごきり、と嫌な音を立てて外れた戸とともに、律の顎は地面へと衝突した。
したたかに打った痛み。目の裏に散る火花。辛うじて手放した戸が倒れていたのが、もしもこちら側だったならば。そんな背筋の冷える想像。少しでも眠気に抗ってくれるそれらに、感謝すらした。
休息を欲する己に律は抗っている。100%の限界を超えて使い果たした体力に精神力、あの人のためなりふり構わず放った超能力。彼の持ち得るあらゆる「力」の限りを奮い立たせてようやく、ここまでたどり着いた。
ここまで来て、眠るわけにはいかないんだ。
あの人の「弟」には、為さねばならないことがあるから。

もぬけの殻の町内にかすかな人の気配を察する。
「兄さん」
思わず口をついた呼びかけに、力が蘇る。
漲る、滾る、湧いてくる。
とうに枯れたはずの力が律を満たす。悲しげに弱々しく、それでも確かに近付いてくる足音の方へと這いずる。ひとかき、もうひとかき。地面に爪を立てて歯を食いしばり、それでも足りなくて歪に呻きをあげながら。
だが、顔を上げた先にあったのは。
「……ひどい顔だ」
「律こそ何してるの」
無粋にぶつけられた弟の言葉に、茂夫はむすりと問で返した。
「待ってた」
「待って……。どうして。あんな状態で、ここまで帰ってきたの?」
「そう。兄さんを。そのために帰ってきたんじゃないか」
兄は目を見開いた。そんなに、兄さんを驚かせてしまっただろうか? あの、兄さんを? 律の不安もつかの間のこと、兄はそのまま笑い始めた。ころころ、ころころと、せせらぎのような笑みだった。
「でも、疲れ切っちゃったから。だからこんな有様だよ」
だから律も笑いながらぺたりと地面に伏せてみせる。少し困ったような、不格好な笑い声がくつくつと降らされて、やがて茂夫はポツリと尋ねた。
「……告白の結果、聞かないんだね」
「聞かなくても、見れば分かるよ」
「そっか」
「どうなっても、僕はここで待っていたよ」
「……そっか」
なんだか、ひどくおかしかった。二人ともこんなに満身創痍のボロボロなのに心だけがとても軽かった。
こんなに簡単なことだったんだ。帰る場所は。こんなに単純なことだった。無人の町に幼気な笑い声がいつまでも、いつまでも響いていた。

一緒に帰ろう。
そう言ったのはどちらが先だっただろう。もしかしたら、誰も声には出していなかったのかもしれない。
大きく傾いだ玄関に、辛うじて蝶番に引っかかっていたドアが青い燐光に包まれる。開かれる、いや、どかされた扉の向こうには少し荒れてしまったけれど、我が家が待っていてくれる。
「ただいま」
短い青春の少し長かった一日が終わろうとしていた。