「律ー! 早くこっち来いよ!」
焼き付くような暑さの中、燃え盛るオレンジ髪の友人はぶんぶんと手を振るう。一体全体、どこからその元気は湧き出てくるんだ。太陽を照り返す海より眩しいトルコブルーの瞳を輝かせ、砂浜を目一杯に蹴り飛ばして跳ねてみせた。
「待てってば鈴木、兄さんが限界なんだ」
「アッハハ! 相変わらず律のアニキは情けねえなあ」
「お前が元気すぎるんだよ」
振り返れば水分を絞りきって干からびたワカメみたいにヘロヘロの兄さん。隣にはテルさんがバスタオルで陰を作りながら、困り顔で付き添う。
そう、僕らは海に来ていた。立案は神出鬼没な友人。早朝、アポもなしに唐突に家に現れた鈴木は「海に行こうぜ」とひとこと、唐突に言い放った。呆れる僕を他所に、寝ぼけ眼を擦りつつ出てきた兄さんを誘い、案外乗り気な兄さんの連絡でテルさんまで加わって、あれよという間にみんなまとめて夏空の下へ引き摺り出さた。
そうして勢いのまま出てきたものの、慣れない路線の市営バスに、使ったこともない鈍行電車を延々乗り継いた末ようやくたどり着いたのは、真上に昇った太陽の照りつける灼熱地獄のビーチ。
兄さんはしっかり、バテきっていた。
「影山くん、海の家でポカリ買いなよ」
「う、うん……」
テルさんの提案に兄さんはかろうじて返答する。
はしゃぐのは鈴木だ。
「おっ! アイス有るじゃねえか! これ食おうぜ!」
「本当だね、じゃあ僕もアイスにしようかな」
「兄さん大丈夫?」
元気組はさて置いて、やや遅れて海の家に到着した兄さんから荷物を受け取る。兄さんは潮風で錆びたベンチにぐしゃりともたれた。
「ありがと、律」
「兄さん喉乾いたでしょ。飲み物何が良い?」
「僕も、アイス……」
「分かった、買ってくる」
兄さんのナップザックから財布を取り出し、二つ折りのマジックテープをぺりりと剥がしたところであ、と思わず声を漏らした。
「兄さん……。帰りの電車賃、足りないかも」
「あっ……律は?」
「僕のは……あっ……。足りないや。まさかこんなに遠いと思ってなかったから。お金入れてこなかった……」
カップのバニラアイスを片手に、テルさんが隣へ座る。
「二人共、どうしたんだい?早く買っておいでよ」
いや、お金が、と言いかけたところで、オレンジ色の元気印が弾丸のように飛びついてきた。
「んだよ、今日は律まで腑抜けてんのか?」
うるさいな、と押しのけた鈴木の手にはレモンの乗ったシャーベット。シャリシャリと氷の粒を噛み砕きながら軽口を叩く彼へちらりと冷ややかな目線を送れば、はははと快活に笑い飛ばして冷凍の薄切りレモンへかぶり付いた。
「お金なら僕が貸すから、好きなもの買っておいでよ」
「いや、でも」
「また今度、会った時返してれればいいからさ」
爽やかなスマイルを浮かべてテルさんは百円玉を三枚、僕の掌の上へ有無を言わさず押し付けひらりと手を振った。この人は中々に用意周到だ。
仕方なしのご厚意に甘えて入手して、アルミ袋から取り出したのは真っ青なソーダ味のアイスキャンデー。二本持ち手の入ったそれを、溝の付いた真ん中で割り分ける。コンマ秒の思案。目分量で僅かに大きそうな一本は兄さんに握らせて、僕ももう半分をちろちろ舐める。
「あっちーなあ」
「お前にも暑いという感覚があったのか」
「なんだよ、律は楽しくないのか?」
「急すぎるんだ。お金だって忘れたし、水着くらいしか持ってこれなかったじゃないか」
「来ちまえばこっちのもんだよ。で、結構楽しいだろ?」
「まあ、楽しくなくは、ないけど」
「つれねえなあ。お前、家にばっか居るからもう少し外出た方が良いぞ」
「余計なお世話だ」
「なあ、律のアニキもそう思うだろ?」
「へ、うん、鈴木くん、今日は誘ってくれてありがとう。家からだと海ってなかなか、来られないから」
「ほら見ろー! 夏といえば海だよなあ!」
むぐう、と黙り込んだ僕を指差し、鈴木はケラケラ笑う。笑いながら、いつの間に空になったカップを手近な燃えないゴミへ放り込む、惚れ惚れするような鮮やかなフォームへ見とれている。と、次の瞬間鈴木の顔が目前まで迫っていた。
瞬間移動を使ったのだ、と気付いた時には鈴木はもう十歩ほど彼方に居て。得意げにもちあげた口角をぺろり、と舐めた。
「お前のも美味いな!」
手元に残されたのは大ぶりの一口分減ったアイス。
おい、鈴木! 僕が叫ぶより先に、ビーチサンダルをつっかけて青い海へと走り去る。精一杯の恨めしさを込めて後ろ姿を見送っていれば、隣の気配がずい、と間近に迫っていた。
「わっっ」
「うん、同じだ」
「そりゃ、同じのだったんだから、味も同じだよ」
兄さんは何事もなかったように自分のアイスもちびりと齧った。そんな僕らの様子を見て、テルさんは愉快そうに笑う。バクバクと耳障りな心臓に震わされる両手に握りこんだアイスキャンデーは、随分と軽くなってしまっていた。