ハロー*スイートワールド

*「ケーキバース」とは?
ケーキバース設定の世界では、オメガバースのように「ケーキ」と「フォーク」、「その他」の人間が存在する。オメガバースの性に該当する。
世界を構成するのは圧倒的多数の「その他」の一般人である。
「フォーク」の人間は味覚が無く、「ケーキ」である人間のみ甘くて極上のケーキのように食べられるという世界観である。
これが使用される創作ではカニバリズム要素が非常に多い。
(参考文献:ピクシブ百科事典「ケーキバース」)

*本作品はケーキバースの設定を元に都合の良い解釈、改変を加えて性癖を煮詰め、都合の良い才囚学園世界軸で書いたものである。

*軽度の人肉食系グロテスク表現あり。

 

 

 

 その人はいつも食堂の壁際に座る。
 石造りのアーチ型のガラス窓から注ぐ光を横切ると、ブロンドの後ろ髪が金糸のようにきらきら輝く。席に着くやいなや、間髪入れずいそいそと、オレンジのギンガムチェックのスカーフの包みを解くのだ。頭の天辺から見えない糸で天井から吊られているみたいな、うつくしい姿勢で。手元は寸分狂わずに。そうして小箱の蓋を開くと、うさぎのキャラクターのプリントがすっかり掠れた箸箱から、流れるように箸を手にとる。
 一口目は決まって、右側によそわれた白米だ。ほんの半口は箸先にすくい取って、ちいさく華奢な顎をした口腔に消えてゆく。
 次にはおかずを食するのだがこちらは毎日、順を違えることを楽しみとしているらしい。今日選ばれたのは脂の照りが鮮やかなベーコンとほうれん草のバターソテーだった。咀嚼はあまり多くないほうだ。口に含んでそうもたたぬうちに細い喉笛がわずか上下して、飲み下す。しばしの逡巡。ステンレスの水筒の蓋に麦茶を注ぎ、ひと思いに飲み干して、ほう、と息を吐き出した。
 実に繊細で、時に豪快で、奏でるようにリズミカル。彼女の食事風景は見ていて片時も飽きなかった。
 なぜそうも仔細を語れるのかと言えば、彼、最原終一はいつだって見とれていたからだ。
 友人の多い彼女がたった一人になるなんて、食事の時くらいしか無かったから。彼女の様子がつぶさに伺えるが、付かず離れず、帽子を目深に被り、尾行業務の距離感で。斜め後ろに陣取り、毎昼飽きずに眺めていた。
「楓! またこんなところに居るの? 一緒に食べようよ!」
 そしてじきに、誰かしらが声をかけに来る。友人の多い彼女のことで、これもまた一つの日課だった。そしてほんの僅か、凝視していなければ分からないくらいの僅かに眉を寄せるのも、いつものこと。
 そこで最原の観察は終わる。以降は、キャップを目深に被って、購買で買った焼きそばパンをちびちびと齧っては、時間を食いつぶすのに専念することとなる。

 最原終一は、これほどまでに彼女の食餌摂取を観察しながらただ単純に「自分には手が届かない人だな」とだけ思っていた。
 一方的な、慕情とすら呼べない感情。それがあぶくのように水面に浮かんでは、音なく消えて、終わるだけ。
 終わるだけであった、はずなのだ。

 朝から雨がしとしと降り続く日のことだった。食堂脇に植えられた山吹色に色付いた葡萄の葉が、雨のしずくを落とすたびに跳ねるのを、最原は何をするでもなくぼんやりと眺めていた。こんな雨の日はどうしようもなくだるくて、眠たい。誰も見ていないのを良いことにくあ、と無防備に欠伸をした最原の前に、人影が立ちはだかった。
「最原くん。だね?」
 突然に、己の名を呼ばれた最原の意識は急速浮上した。
「えあ、はいっ?」
「ここ、座ってもいいかな」
 弾けるような笑みを浮かべた彼女は、そうは言いながら。向かいの椅子を既に引いていて、腰を沈めるところだった。最原は脳みそがひっくり返るような思いがした。彼女のことをこんなにも間近で見たのは、初めてのことかも知れない。
 人懐こく細められたバイオレットの瞳は薄暗い雨の日の蛍光灯の元で、爛々と意志の光を灯している。まともにまっすぐに向けられて心臓を射抜かれたようで、最原はすっかり固まってしまった。
「せっかくだから一緒に食べようよ」
「せっかく、って」
「だっていつも見てたでしょ?」
 全く悪びれることもなしに図星を突かれた最原は、かちこちに固まったまま、ついには居場所をなくして縮こまってしまった。
「……バレてたの」
「え? どうして?」
 キョトンと傾げる首筋の細さにどぎまぎする。跳ねる心臓をなだめながら、少なくとも、どうやらこちらに悪い感情は持っていなさそうだと判断して最原は少々、落ち着きを取りもどした。
「赤松楓……さん、だよね」
「うん、最原くん。二人で話すのは初めてだったかな。赤松さん、でいいよ」
「そうだね。赤松さん、とは、入学のときの自己紹介以来だった、かも」
「意外と喋る機会がなかったもんね」
「うん」
「そうそう、最原くんの才能って探偵さんなんでしょ?」
「そんなこと、よく覚えてたね」
「もちろん覚えてるよ。この前も迷い猫を見つけたんだって? すごいね!」
「探偵って言っても僕なんか見習いだし、猫探しくらいしかやることないよ」
「そんなことないよ。猫探しだって、困ってる人と猫ちゃんが居るんだもん。それを解決出来るのは才能だよ」
「探偵なんて、地味な仕事だし、活躍しない方が良いからね。万が一、殺人事件でも起きたら困るし」
「それは、めったに無いし……あったら困るね」
「そうだよね」
 彼女のペースに呑まれてすっかり楽しい雑談を交わしてしまう。こうして喋ってみればなるほど、彼女の友達の多さの理由が分かる。
 溌剌としていて快活。話題選びに話しの運び方もそつなく、褒めるにも押し付けがましさがない。笑ってみたり驚いてみせたり、困ってみせたり。ほんの僅かな会話の中ですら見せる表情はころころ変化して、こちらの発話に反応して分かりやすく色を変える顔は、見ていて飽きない。もっと、他の色を見てみたくなってしまう欲求を、湧き上がらせる魅力がある。
 遠く、斜め後ろから眺めるだけではこんなこと。
 分からなかった。
「赤松さんは、ピアニストだよね」
「そうなの! ピアノが大好きでね、一部ではピアノバカ、なんて呼ばれてるんだよ」
 赤松はふざけたようにぷう、と頬を膨らせてみせる。
「ありきたりなことしか言えないけど、本当に上手いよね」
「聞いてくれたの?」
「んーと、少しだけだけど。音楽室の前を通ったとき赤松さんが弾いてるとすぐ分かるよ。なんていうんだろう、CDとかテレビで聞くピアノの曲もきれいなんだけど、赤松さんのは聞いてるだけで元気になれるっていうか、気持ちが楽しくなるっていうか」
「うわあ……! 最原くん! それって、最ッ高の褒め言葉だよ!」
 突然、ぐいと前のめりに目を輝かせる赤松に、最原はややたじろいだ。
「そ、そう? ピアノのことはあまり良く分からないから的外れかもしれないけど……」
「そんなこと関係ないの! 私はね、もちろんピアノを弾くのが大好きだけど、何よりもね。聞いてくれた人が明るい気持ちになって元気になってくれるのが嬉しいの。だから、私のピアノで最原くんが笑顔になってくれたなら、こんなに嬉しいことはないんだよ」
「それは、どうも……僕もなんだか嬉しいよ」
「えへへへ……」
 すっかり上機嫌になった彼女はとろけたような笑みを零している。かと思えば、今度はきりりと眉を上げて、決意したように向き直る。
「それじゃあ、私も最原くんのこと、たくさん知らなくっちゃ」
「ええ?! どうしてそうなるの?」
「だって、最原くんは私のピアノを聞いて明るい気持ちになってくれたんだもん。それって、私の気持ちが音楽を通じて、最原くんに伝わったってことだよ。私だって最原くんのこと、これからどんどん知っていかないと。よーし、負けないぞ!」
「ええ、うん……」
 張り切る赤松を前に最原は目を白黒させる。遠慮もなしにぐいぐいと品定めを始めた紫の瞳に真っ直ぐに見つめられ、押し負けて視線を落とす。机の上に置かれた本日のおかずは、アスパラガスの肉巻きにギザギザに飾り切りされて塩を降ったゆで卵、小さなコロッケと、白米はいつも通りの右側だ。
 赤松は、やはりこれもいつも通り、白米から手を付けている。
「赤松さん、いつもごはんから食べるよね」
「えっ! そう? 全然意識したことなかった。なんでそんな事知ってるの」
「いや、たまたま! 見てた、から」
「すごい! 探偵さんだとそんな事も気づいちゃうんだね」
「……それに、僕は味があるおかずから先に食べるから。それで、印象的だな、って」
「……そう、だね」
 妙な空白に引っかかりを覚える最原であったが、しかし上手いこと言葉には出来ずに。言葉にするほどのものでもない気がして、違和感はそのまま飲み込んだ。
「それじゃあ! ますます最原くんのこと知らないとね!」
「どうしてそうなるの……」
「最原くんこそ、毎日購買のパン食べてるでしょ? どう?」
「な、なぜそれを」
「だって後ろの方でパンの袋がガサガサする音が聞こえてたもん」
「そんなことから?」
「もちろん。あそこのビニールって結構固くて厚めだから大きな音が鳴るでしょ。いつか茶柱さんが食べてたから覚えてたの。ピアニストの耳はごまかせないよ」
 そう言って胸を張る赤松は、大変に満足そうだ。
「すごいよ赤松さん、探偵みたいだ」
「えへへ、超高校級の探偵さんにそんな事言われると照れちゃうな!」
 褒められたとき、こんなにも素直に喜ぶ人が居るんだ。最原にはちょっとした発見だった。称賛を真っ直ぐに受け止めて、嬉しそうな彼女の顔は本当に清々しいもので、褒めた方までますます嬉しくなるようなものだった。
「今日は……ツナコーン?」
「うん。焼きそばパン売り切れちゃってたから」
「へえー。購買のパンって買ったこと無いなあ」
「うーん、まあまあ。普通かな。食べてみる?」
「えっ、と……。……良いの?」
「あっ、えと、ごめん。変なこと言っちゃったかな」
 表情の陰りを見逃す最原ではなく、慌てて謝る。輝かしい笑顔を曇らせてしまったことに焦りを覚え、その原因に考えを巡らせる。申し訳無さと己の至らなさを恥じて、ますます頭は空回りして、なんと言ったら良いかも分からず、固まってしまった。
 固まったのは赤松も同じだ。固まって、首を傾げて、そして意を決したように動いた。
「えーっと……、えいっ!」
 白くて長い指が、最原の目前ににゅっと伸びる。齧りかけのパンがちぎり取られて、とんぼ返りに持ち去られる。そうして、薄く開いた唇の向こう側、昏い口腔へと放り込まれる。

 赤松楓は目を見開いた。
 それは驚愕のようであった。あるいは晴天の霹靂に打たれたような、昼下がりのうたた寝に天啓を得たような。かじりかけのツナコーンパンただのひとつまみが、まるで、決定的に人生を分岐させてしまったかのような。
 そんな顔をしていた。

 最原終一はもう、全く、状況についていけていなかった。
「あの……赤松さん?」
「あっ! その、なんでもない! なんでも無い、の」
「大丈夫……?」
「うん、大丈夫大丈夫」
「そんなに……不味かったかな」
「違うの、そうじゃないの! その、美味しかったよ。……すごく、ね」
 そう言う赤松の眼光はどうしてだか、どこか狩人のように、鋭い。それでいて、定まらずに揺らめく。
「それなら良かったけど」
 ひとまず機嫌を損ねたわけではなさそうなことに最原は安心した。だが、なんとなく気まずくなってしまって、二人は向かい合ったままに無言で各々の昼食を進めることとなった。
「ごちそうさま!」
 弁当箱の中身をかき込んで、赤松は宣言する。
 そして、じゃあね、と小さく手をふり、食堂の外へと駆け出していった。申し訳無さそうな、バツの悪そうな表情を隠しきれずに。最原も、どうしようもなしにとりあえずといった風に手を振り返す。

 なんだかなあ。
 やりきれない気持ちになりながら最原は、空になったパンの袋をゴミ箱に投げ入れた。
 その背後から声がかかる。
「ねえ。……明日も一緒に、食べてもいいかな」
 聞き覚えのある声に、最原は勢い良く顔を上げた。
「あかまつ、さん」
「その! さっきはなんか……、ごめんね!」
「ううん、気にしてないよ。僕の方こそごめんね」
 そういう最原の様子をうかがうとホッとしたように赤松は胸をなでおろし、ぱっと表情を明るくして、しかし声はうんと潜めて、耳打ちした。
「最原くん、今度私の研究室においでよ」
「え?」
「最原くんが良かったら……だけど。どうかな。せっかくだから最原くんにピアノのこともっと好きになってほしいし、そうだ! お昼ごはんもそっちで一緒に食べようよ」
「ちょ、ちょっと」
 突然の提案に最原は驚いた。だが赤松は、これ以上ないナイスアイディアと言わんばかりの興奮気味に、ぐいぐい身を乗り出してくる。きらきらの瞳がなんとも眩しい。
「最原くんも昼休みは特に予定ないでしょ」
「う、」
 図星ではあるが改めて言われると寂しいものがある。寂しいが、事実は事実で、断る理由も見つからなかった。
「僕は良いけど……」
「それにそっちのほうが……ゆっくりお話し出来そうだし」
 赤松はおもむろに振り返る。つられて最原も視線をやると、その先にはいくつもの顔がこちらへ向けられていた。
「楓ー? ぴっぴー? かれぴっぴ?」
「ぎぎぎぎぎぎこれだから男死は…………」
「あらあらまあまあ、これは……」
 衆目に曝されるのに慣れた最原ではなく、引きつり笑いを浮かべる。
「あははは……」
「えへへ……」
 照れたのは赤松も同じなようで、居たたまれなくなり各々うつむく。その頬がほんのりと桃色に色付いていたことには、お互い気づかずに。

 とくとく胸が鳴る。足を弾ませて階段を駆け上がる。ごく僅かに漏れ聞こえる踊る音たちに歩調を合わせて、ワンツースリー。最後は一段飛ばしてみたりして、跳ねる。群れて走る音に急き立てられて、走り出したい気持ちを抑えながら廊下を大股に歩く。そうすれば、目的の扉はすぐそこ。汗のにじむ手のひらを一度、すり合わせると、きらびやかな音たちに間違っても雑音を混ぜないように、そうっと、ドアノブに手をかけた。
 幕を開けたように音が、鮮明になる。楽曲は中盤を過ぎたようで、流れるように低空を飛行し、緩やかに、とぐろを描くように、着地する、かと思われた。次の瞬間には耳慣れたフレーズを高らかに歌い上げる。足並みを揃えて行軍する、戦へと征く勇ましい戦士。と、言うにはいささか楽しそうが過ぎるような、でも確かに決意を込めたホップ、ステップ。
 そうして鍵盤は、自らへ落ち着けと言い聞かせるようなけんけんぱで、最後の一歩を踏みとどまった。

 気配を消していた最原が拍手する。ぱちぱちと、一つ一つに音たちへのありたけの称賛の想いを込めて。それに驚いたかのように勢いよく振り返った赤松の顔は、真っ赤に染まっていた。
「ああっ、またやっちゃった……! 最原くん! 声かけてくれて良かったのに」
「そんな、せっかくの演奏を邪魔するわけにはいかないよ」
 慌てながら最原は言う。
「ポロネーズ……であってるかな」
「そ、そうなの! よく知ってるね」
「ショパンなら僕でも分かるから」
「なかなか曲名まで出てこないよ」
 頬を上気させて赤松も言う。まるで恥ずかしいところを指摘されてしまったみたいに、目を泳がせながら。
 さて、何を言い出してよいのやら。気恥ずかしい。耐えかねたように沈黙を破ったのは赤松だった。
「ごはん、食べようか」

 テーブル付きの折りたたみ椅子を拝借して二つ並べる。向い合せではなくて隣同士なのは、なんとなく。グランドピアノを背に二人座る。決して安定感があるとは言い難い簡易のテーブルに、各々の食事を開いてゆく。
「こんな机しかなくてごめんね」
「ううん、平気だよ」
「そう? 採譜くらいしかしないから、と思ってたんだけど。今度ちゃんとした机用意してくれるかお願いしてみようかな」
 赤松はギンガムチェックの包みをいそいそと解きながら。喋りながらもその指先はひとつの生き物のよう。奏でるように滑らかで、間近で見るとなお惚れ惚れする。弁当の蓋を取り払い、元気よく白米を頬張る。見ていて気持ちの良い食べっぷりだ。やはり咀嚼は少なめで、せっかち気味に飲み下すと、小松菜と卵の中華炒めに箸を伸ばす。
「最原くん?」
 しかし掴もうとした箸は途中で止まる。なぜそれを最原が知っているのかといえば、つい、いつもの癖でじいと見つめ続けていたから。呼びかけられた最原は、いたずらを見つけられた猫のように固まった。
「……交換っこ、する?」
 投げかけられたのは甘い提案。
「でも僕、また焼きそばパンだよ」
「私は焼きそばパン初めてだもん」
 そう、真っ直ぐな瞳で言われてしまったならば、断れる最原ではなかった。自らが齧っていたのと反対側を、なるべく中身が入るようにしてちぎる。
「最原くんは何がいい?」
「えっと……じゃあ卵焼き、貰おうかなあ」
 どうしようかなと、逡巡するうち差し出されたお弁当箱の蓋に、不格好に潰れた焼きそばパンの欠片を受け渡しながら。なるべくつまみやすいものを、と最原は選んだ。はい、と見せられたお弁当箱からだし巻き卵をつまみ上げる。
 厚切りのそれを頬張ると、鰹節の香りとやや多めの砂糖の甘味が口いっぱいに広がった。両親と離れて暮らし、もう随分と遠い記憶となった家庭の味。いや、うちのだし巻きは甘くない派だった気もするが、それはともかくとして。懐かしさと優しさを沸き立たせる味だった。
 おいしいよ、と伝えようとした最原だったが、顔を上げて口をつぐんだ。赤松は焼きそばパンの端っこを細かい砂を噛み潰すように咀嚼し、その目元は暗く、硬い。それでいて期待していたごちそうを目の前で取り上げられたかのような、哀愁が漂っている。
「美味しくなかった、かな」
「あっ、そうじゃないの。その、ううん、おいしいよ」
「いや、ほら。一番カロリー対値段のコスパがいいかなと思って買ってるだけだから、無理しなくていいよ」
 最原は、とっさに思いついた口からでまかせを言う。
「えっと、ごめんね……」
 だって、彼女の瞳に嘘の色が滲むなんて嫌だったから。彼女が苦しそうに嘘をつくくらいなら、自分が嘘吐きになったほうがずっとマシだった。
「ごめんね、最原くん……」
「そ、そんな。こんなことくらいで謝らないで」
「いや、違うの、あのね」
「ほんとに、大した理由もなく選んでるだけだし、なにも気にしないで、」
「そうじゃないの、お願い聞いて最原くん」
 真剣に言う、眼差しに射すくめられて最原は、しつけの行き届いた犬のように待った。
しばしの沈黙。赤松は膝の上の握りこぶしを見つめて、そして意を決し、宣言した。
「私、フォークなのっ!」

「ええっ?!」
 飛び出してきたのは場違いな単語。最原は素っ頓狂な声を上げた。フォーク、フォーク。食器の一種。スプーンと対をなすもの。食べ物を突き刺すことで使用するもの。
あるいは、もしや。探偵業をする者であれば一度は耳にする、かの都市伝説のような話。
「こんなこと言っても信じてもらえないかも知れないし、気持ち悪いかも知れないけど……最原くんには、伝えなきゃいけない気がしたから、」
「フォークって、ケーキの?」
 赤松楓は目を見開いた。そしてゆっくりまばたきをする。覚悟を決めたようにひとつ、うなずいた。
「そうだよ。最原くん、知ってるんだね」
「まあ、探偵業やってると、それなりに」
「やっぱり……そっち、だよね」
「まあ、……うん」
 赤松は重くため息を付く。そしてうかがうような上目遣いで言った。
「最原くんは……気にしないの?」
「突然言われたのは驚いたけど、でもフォークでも赤松さんは赤松さんだから、その、なんだろう。正直なこと言うとあんまり実感、わかないや。でもどうして」
「あのね最原くん」
 落ち着いて聞いてね、と前置きされ、ブレない瞳で伝えられたのは、未だかつて、思ってもみないことだった。
「最原くんは、ケーキだと思う」

 この世には三種類の人間が存在する。圧倒的大多数は普通の人間。そして残りの二つがケーキとフォークだ。ケーキとフォークはその希少さと、おとぎ話じみた呼び名と生態から、単なる噂話扱いする人が多い。
 だが最原は知っていた。
 家業であり、彼の才能でもある探偵という職業柄、知らざるを得なかった。

「僕が、ケーキ……?」
 だが、客観的に知っていたからこそ、困惑は強かった。
 数枚の事件ファイルが脳裏に浮かぶ。それに挟まれた現場写真は、どれも特徴的で猟奇的なものであり、描写する文章は生理的嫌悪感を催すに十分なものだった。思い出すだけで、気分が悪くなってくるほどに。
 この僕が、さして取り柄もない平々凡々たる僕が、よりによって、ケーキだって? 
 現実と我が身との間に断層が生じてしまったような、むしろ夢想と癒着してしまったかのような。乖離した気分で最原は唸った。しかし目の前の、真剣そのものの彼女が嘘を言っているようにも見えずに、ますます混乱を極めていった。
「最原くん。最原くんのツナコーン、すごく甘かったの」
「えっ?」
「でも焼きそばパンは甘くなかった」
「それって……」
「でも正確には、多分アレが甘いってことなんだと確信したの。私、食べ物に味があるなんて知らなかったから」
「……つまりは。僕のかじりかけの部分に付着した、ほんの僅かな唾液が甘かった、ってこと?」
「そう、なるかな。ううー……さすが最原くん、頭の回転が速いなあ」
 羞恥と覚悟。そして隠しきれない恍惚を秘めて、赤松楓は頷いた。
「私ね、飴玉ってどうしてあんなにカラフルできれいなんだろうってずっと思ってたの。グミも、フーセンガムも。キラキラして可愛くって大好きだった。広告に書いてある『パリッとジューシースパイシー』とか『ふわとろの甘ーい誘惑』とか、よく意味は分からなかったけど食感は分かったし、何となくごきげんでリズミカルな語感が心地よかったから好きだった。でもね、何かが欠けてたの。物心ついてしばらくして、私には何かが欠けてるんだって気づき始めたの」
「それが味覚、だったの?」
「そう」
 赤松の瞳はブレない。気圧されて、あまりにも現実味がなくて、最原は明後日の不安に駆られた。
「……それで、僕に話しかけたの?」
「違うの! それは本当に、中には嗅覚だけ分かる人もいるとか、全員そうだとか色々言われてるけど、私はそういうの全然、ないから」
「いや、ごめん、そういうつもりじゃないんだけど、でもどうして僕なんかに話しかけてくれたんだろう、って」
「信じて……なんて言えた義理じゃないけれど。でもこれは信じて。私、ずっと最原くんとお話してみたかったの」
 彼女の口調は、極めて真摯で、必死だった。最原は軽率な己の発言を後悔した。それと同時に、何か、とんでもないことを聞いてしまった気がして、遅れてじんわり頬を染めた。
「えっ、あの、それって」
「あっ! 変なこと言っちゃった、かな。違うの、変な意味じゃなくて、ええと」
 赤松は慌てながら言い淀む。その様子を見て最原は、恥ずかしい勘違いをしたのではないかと思い至って、穴があったら入りたい衝動に駆られていた。しかし、超高校級の生徒のために丁重に設けられた研究室には人一人入り込める穴など空いている訳もなく、結局の所、同じくして動揺するばかりであった。

 えいっ。
 そんな軽い掛け声とともに視界が、理性が、塞がる。ふわり微かにフローラルの香り。粘膜の体温に蕩けたミツロウをまとった極上の柔らかさが、押し当てられ、さざなみのように去っていく。

「やっぱり、甘い」
 そう言って、照れ隠しにへにゃりと笑う赤松の目は泳いでいて、耳の先まで赤く熟れている。最原はやはり、もう、全く状況についていけなくて、でも唇に残された感触はどうあがいても本物で、中指で唇を小突いてみてもあの心地よさは得られない。

 キスされた。
 女の子に。

 真実を受け止めるまで、明晰な頭脳はずいぶんと遠回りをした。
「赤松さん」
「……最原くん」
「これは、その、そういう意味でいいの……かな?」
 頭脳明晰な探偵は恋に疎い。加えて臆病さも手伝って、今更で余計な質問を口走った。
 いよいよ追い詰められた赤松は、可愛そうなほどに頬を上気させながら、意志の炎を煌々と燃やして、でも乙女心に揺さぶられつつ、震えるフォルテで宣言した。
「最原くん、私、最原くんが好きです!」

 最原は最原で、最もあり得ないこととして処理しようとしていた現実に対峙して、視界が揺れていた。もう、いっぱいいっぱいだった。
 だが、他でもない自身に向けられた強い感情から逃げ場などなく、待たれた返す言葉をつぶやきながら、自分でも実感が湧かなかった。
「こちらこそ、よろしく、お願いします」
 赤松が顔を上げる。涙で覆われた大きな瞳に、この世の至福というやつを集めて膨らましたみたいな頬に、最原は自分が、何かとんでもないことをしでかしてしまったんじゃないかという気になった。
でも、何も変わらなかった。そう、告白したって恋したって、この宇宙は何にも、変わりはしないんだ。
 防音の部屋には虫の声さえ届かずに、互いの息遣いだけが耳障りだ。逃す視線の先もなしに最原は正面を見据える。同じくこちらを見つめる人の長いまつげが細かに震えるのを見て、綺麗な人だ、と改めて思った。
 そうしたら自然と体が動いていた。
 思いの外遠かったから、肩に手をかける。その華奢で柔らかな曲線にギョッとしながら、もう後戻り出来ずに抱き寄せる。相手は、逃げない。近さを直視出来ずに目を閉じて唇を重ねた。
 その味は確かに甘かった。

 駅の地下街。フクロウ像のお膝元でスマホの画面を凝視する男子高校生が居た。今日の格好は細身のスラックスに黒いステッチの入った白いシャツ、その上にネイビーのダッフルコートを羽織っている。叔父が誕生日に買ってくれたばかりの、高校生にしては仕立ての良い一張羅だ。そして心の友の、いつものキャップも忘れない。
 スマホの左上には十三時三十五分と表示されている。約束時刻の二十五分前。人の集っては離れゆく有名な待ち合わせスポットで、彼はどんなに見つめても六十秒に一度しか針の進まない時計を見つめていた。

「最原くん!」
 上ずったメゾソプラノに呼ばれたのは約束の五分前のこと。小走りに、小さく手を振りながら待ち人は現れた。
「お待たせ!」
「ううん、僕も今来たところなんだ」
「そうなの? それなら良かったあ。私のレッスン終わりに合わせてこんな時間になっちゃって、ごめんね」
「こうして一緒に遊べるだけで嬉しいよ」
「ふふ、ありがと」
 赤松は上機嫌だ。
 臙脂色をした膝丈のジャンパースカートのプリーツが、地下まで迷い込んだ北風に重たくはためく。アイボリーのカーディガンにミルク色のブラウス、落葉色のタイツ。太くて低いヒールの付いたショートブーツを履いて、黒の合皮のバッグには白いミンクファーボールが揺れている。
「服、かわいいね」
 率直な感想だったのだが、赤松はサッと頬を染めた。
「そう? ……ありがと!」
 もう、と言いたげな顔をしながら赤松はシンプルに礼を言った。それきり、何を言ったものか分からなくなってしまって、ようやく見つけた言葉をすがりつくように最原は提案する。
「そろそろ、行こっか」
「うん!」
 ごく自然に近寄る、布越しの腕の柔らかさ。髪から匂い立つシャボンの香り。ちょっとでも横を見やれば、自分のためだけに微笑む、優しい頬。
 その全てを、受け止めきれずに最原は。逃げ出すように歩みを進めた。

 繁華街を二人は行く。休日のことで、人で溢れ返る歩道はいつもより心なしか楽しげに見えた。雑踏の波をかけ分けて、二人ステップを踏むように避けて歩くうちに程なくしてお目当てのビルを見つけることが出来た。
「一度来てみたかったんだあ! 本当に都会のど真ん中にあるんだね」
 道案内の看板を見ながら赤松は言う。最原は間違っても迷わぬように、慎重に道を追い、順路通りのエスカレーターを登っていった。

「大人二名ですね」
 ホテルのロビーみたいにお洒落なチケットカウンターでチケットを二枚、受け取る。
高校生になってから大人料金を取られることが増えた。それ自体は別に良いのだが、大人、と言われる度になんともむず痒い気分が最原はしていた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。あっ、ペンギンだ」
「本当だ。僕はクマノミだ」
「かわいいね」
「うん」
 自分がカクレクマノミよりもペンギンのほうが好きだから。そんな理由でペンギンを渡したことは内緒だ。
 水族館なんて来たのはいつぶりだろう。小学校の遠足以来ではなかっただろうか。どう楽しんでいいやら分からなくて、そうでなくても気が気でなくて仕方なくて、不安なような浮足立つような。結局のところ最原は高揚していた。

 館内に足を踏み入れれば、真昼の明るさから一転、闇になる。遅れて、徐々に、青の視界が広がる。
 ちいさな箱庭に煌めくのは無数の鱗。赤に青、縞に黄色。すごく大きいの、小さいもの。名も知らぬ魚が、珊瑚の森を乱舞している。照明に照らされた水面がきらきらと揺れる。地上とはかけ離れた世界に足を踏み入れて最原は息を呑んだ。
「きれいだ……」
「きれいだね……」
 赤松が呟く。その横顔を盗み見る。
 青い光の帯がゆらゆら波打っては笑顔に映る。輝かせた目にも青。その後ろには大きな水槽があって、巨大なマンタが鮮やかな魚たちを横切り悠々泳いでいる。
「見て見て最原くん、マンタだよ! ……最原くん?」
「あっ……ほんとだ! 大きいね」
 ぼんやりしていた最原が慌てて答えると、赤松は幼子のようにはしゃぎながらマンタの方へと向き、こちらへ背を向ける。
 その後姿でさえ、青い光にきらきらと金の髪が透けていて。彼女の視界に入らないことを良いことに、最原はうっとり、眺める。
 世のカップルがどうして水族館に来たがるのか分かった気がした。それはきっと、綺麗な場所で、いっそう綺麗になった大切なひとを眺めるためなのだ。

 それから二人は熱帯の森を旅し、清流に足を踏み入れた。毒々しくも美しい小さな蛙たちに遭い、おっとりとした亀と見つめ合った。
 最原が一番気に入ったのは、新設されたと聞く海月の巨大水槽だ。揺蕩い揺らめく乳白色の刺胞動物には悩みなど無い。なぜなら神経系がないからだ。海水に戯れ、ただ生きるのみを目的とした彼ら。その存在に、どうしてこうも癒やされるのだろうか。
 そんなことを小難しく考えながら、最原は海月のトンネルに佇んでいた。

 展示は屋外に移り変わり、十一月の風がひやりと頬を撫ぜていく。そこはアシカやカワウソ、ペリカンといった恒温動物が主に展示されているらしかった。
 赤松は真っ先に水槽へ向かう。
「これが空飛ぶペンギンだね!」
 空をペンギンが飛んでいる。いや、空中に設置された水槽でペンギンが泳いでいるのだ。水槽には大都会のビル群と植木が映り込む。ペンギンが、都会の空を自由に、気持ちよさそうに飛び回っている。そんな、非現実的な光景に見入ってしまう。
 ふと赤松が口を開く。
「なるほどそうか……ペンギンって、最原くんに似てるね」
「ええっ? そうかなあ……。どの辺りが?」
「うーーん、とね……色、とか?」
「色、かあ……」
 最原はいまいち腑に落ちなかったが、それ以上追求はしなかった。
 赤松は、天空に舞うペンギンを見つめながら思う。陸地ではよちよち歩きの彼らは、水を得ればすばしこくて波や潮にだって負けない、たくましくて勇敢な、格好いい動物だったのだ。
 そんなこと、間近で目にするまで知らなかったけれど。

 地上へ帰ると、夢から醒めたみたいなコンクリートジャングルだった。乾いたビル風が吹きすさび、肌を刺す。コートの袖を小さく掴み最原は身震いをした。
「ううっ、寒い!」
「寒くなったよね」
「ね! 上着もっと着てくれば良かった!」
 最原は内心焦っていた。昨日の夜半まで、目薬をさしながらインターネットで調べたお店があったのだが、今日という日に似つかわしくないのでは、と気がついてしまったのだ。
「この後どうしようか」
「どこかお店でも入る?」
「そうだね、何か食べたいものある?」
「んーーとろけるもの?」
「とろける、か……」
 甘いとか塩っぱいとか、中華とかイタリアンとか。てっきりそんな方向で答えられるかと思っていたから、最原はやや驚いた。でもそれは、冷静になれば当たり前のこと。
 だって彼女にはそれしか無かったのだから。
「あの、パフェ、のお店なら知ってるけど……」
「パフェ! 食べたい!」
「でも今日、寒いよ」
「お店の中は暖かいし、最原くんおすすめのお店なら間違いないよ」
「おすすめって程でもないんだけど、」
「ね、行ってみよう。せっかくだし!」
「う、うん」
 赤松楓は前向きだ。
 そんな当たり前のことを思った。

 地図アプリにつけておいた星印を目指して、行きに来た道を戻っていく。その画面を赤松も覗き込む。
「ええと、大通り沿いかな? 結構近くだね」
「うん、次の薬局のすぐ向こうかな」
「薬局薬局……あ、あそこじゃない?」
 と、赤松が指差した建物には、目当ての名前が青く記されていた。案内に従って赤松は、勇み足に二階へと登る。
 階上にて、二人を出迎えた幅広のショウウィンドウには、所狭しとサンプルのパフェが並んでいた。
「うわあ……かわいい……!」
 窓ガラスに張り付かんばかりに赤松は覗き込む。
 その横顔を見て最原は、今日ここに来て良かった、と、心の底から思った。いつまででも眺めていたい横顔を惜しみつつ、入店を促す。

 青色を基調とした店内には星のモチーフが散りばめられている。ガラス戸に星、壁紙にも星、オブジェも青に星の型抜き。隣のカップルのテーブルに置かれたティーポッドも、お皿も、星型。薄暗い店内に輝く無数の小さな電灯までが星を思わせて、まるで天の川に迷い込んだよう。良く言えばフォトジェニック、はっきり言って夢かわいい、と言われる部類の乙女チックな内装に、最原は自分で調べて自分で案内しておきながらたじろいでいた。
「へえ! 十三星座モチーフのパフェなんだ。だから星型のクッキーが乗ってるんだね!」
 赤松はへっちゃらだ。店員さんに渡された、ラミネート加工されたメニューを眺めながら目を輝かせる。目と指を歌うように滑らせる赤松の様子に、最原は少しほっとした。
「十三星座かあ。十二星座ならニュースの占いとかで見るけど、あんまり考えたことなかったな」
「確かに。最原くんは何座なの?」
「僕は乙女座だよ。誕生日が九月七日だから」
「私は早生まれだから、最原くんの方が年上だね。三月二十六日生まれで、牡羊座」
「二十六日は十三星座だと……魚座だって」
「魚座かわいい! ヨーグルトにクリームチーズかあ、まさに今の気分って感じだよ!」
「僕のは……十三星座だと獅子座でトロピカルパフェだ。乙女座の方だと、ワッフルとベリーかな」
「ねえ、どれにする? 私は魚座で決めようかな」
「僕は、乙女座にしようかな。トロピカルよりブルーベリーが好きだから」
「うんうん、この中で乙女座が一番可愛いと思うよ」
「え、えへへ……」
 照れた最原は目をそらす。視線はそらしても、陽光のように降り注ぐ赤松の笑みからは逃れることまでは叶わない。
 最原が手を上げて注文を終える。名もジャンルも知らぬ、何となくお洒落ということだけが分かる音楽を聞くともなしに聞きながら、最原は話題に困っていた。
「最原くんはすごいね」
 先に口を開いたのは赤松だった。
「えっいやいや?」
「こんなに私好みのお店を知ってるなんてびっくりしちゃった」
「いや、そんな、僕だって、ネットで調べて見つけただけで、来るのは初めてだったから」
「なおさらすごいよ! 初めてでこんないいお店を見つけられるなんて!」
「ああ、いや……うん、ありが、とう」
 最原は迷って、そしてぎこちなく礼を言った。褒めに褒められて、追い詰められ、ふと気づいたのだ。
 こんなにも彼女が褒めてくれたのを謙遜し、否定するのは、実は彼女に失礼なのではないだろうか、と。赤松は変わらずににこにこと笑っている。夕暮れの秋風に優しく揺れる大輪のコスモスのような、笑顔で。
「私ね、味覚はないけれど食感は分かるの。でもそれ以上に、見た目にかわいい食べ物とかきれいな食べ物が好きなの。だって、私には、それしかないから」
 最原は黙って聞いていた。なぜなら、想像もしたことがなかったのだ。味覚の欠落した世界のことを。砂の味しかしない世界のことを。
 音のない世界、色彩の死んだ、頬撫でる風のない、何かが欠けた。世界のことを。
 だから彼女の言葉を一言も漏らすまいと、聞いた。
「だからね、こういうお店が大好きなの。コンセプトをしっかり待って、お皿とか細かいところまで凝ってて。店員さんの制服も可愛いし。特にね、パフェって大好きなんだ。キラキラでつやつやしてて、冷たくてとろとろでサクサクで、なんて言ってもフルーツとかアイスクリームがカラフルだから。しかも星座モチーフでお星さまの形のクッキーまで乗ってるなんて! うーん! 楽しみだなあ……!」
 赤松はひたすら、幸せいっぱいという様子だった。最原は、なんと言ったら分からなかった。
「……僕は、赤松さんにそう言ってもらえて、本当に嬉しいよ」
 だから、たっぷり悩んでから、きっとこれが今の僕の一番正直な気持ちだろう、と思えた言葉を送った。

「お待たせしました。乙女座と魚座でございます」
 小さく手を上げた二人の前へ、順に、ウェイトレスはパフェを置く。想像よりも大振りなパフェを前にして、赤松は頬が緩みっぱなしだ。並べられたてのパフェたちを、ごそごそと位置を調節して、これでよし、と納得してスマホを取り出した。
「最原くん、ピース!」
「ええっ」
「ほら、笑って! もっと寄って!」
「う、うん!」
「撮るよー、はい!」
 こちらへ画面を向けたスマホから軽いシャッター音が鳴り、画像が保存される。
「送ったよ!」
 と、次の瞬間には最原のスマホが震える。メッセージを開くと、赤松と、ぎこちなく笑った最原と、二人のパフェが映っていた。
「じゃあ、食べよっか」
「そうだね、いただきます」
「いただきまーす」
 最原は脇に添えられたホイップクリームにまず、匙をのばす。バニラアイスを崩して乗せれば、アイスクリームの冷たさが心地よい。
「おいしい!」
「とろけるしサクサクだね!」
 てっぺんのホイップクリームとクッキーを頬張った赤松も言う。

 とろける、か。その言葉を聞いた最原は逡巡した。
 最原は、最原なりに考えて、一つの結論を導いた。
「あの、もし良かったら」
「えっ」
 咄嗟のことに赤松は固まった。
 銀色のパフェスプーンのちいさな窪みに、クランベリーとアイスクリームにホイップクリームをありたけ乗せて、まっすぐ、赤松へ向けられている。
「僕ので良かったら、食べる?」
「あああ、あの、最原くん?」
 赤松は慌てながら、パンクしそうな頭で、その真意に思い当たった。どうやらそういった意識はしていないようで。
 ほっとするような少しだけ呆れるような。でも、そういうところも好ましい気がして。
 そうしたらやることは一つ。純粋な善意に従うのみ。
 覚悟を決め、一口。目は閉じて、なるべく景色は見ないように。そうしないと蒸発してしまいそうなほど、恥ずかしくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうだったから。

「……どう、かな」
 しばし沈黙。耐えきれなくなった最原が、口を開く。
「……おいしい、おいしいなあ」
 噛み締めて、咀嚼して、じっくり時間をかけて嚥下して。そうしてから赤松は言った。目尻に涙を浮かべながら。でも、とびきりの笑顔で。
 それはどんなクリームよりも甘くて、とろけるような笑顔だった。

 事件ファイル 20☓☓年☓月 被告:60代男性
実直で知られる有名財閥の役員であった。役員就任三周年記念パーティーにて、ジビエ料理を得意とするワインソムリエが、家主が自慢気に勧めるスペアリブの動物種を不可解に思ったことが、事件発覚の発端となった。
 捜査は難航し、ようやく家宅捜索に踏み切ったところ、邸宅には高級レストランさながらのキッチンが設えられていた。業務用の冷凍庫が複数台置かれ、その中には動物の肉が血抜きされ、整頓してパッケージされていた。ハーブや香辛料を用いて処理、味付けされたものも有った。骨の付いた肉が生ハムの原木様に調理され、半ば削られた状態で置かれていたという。血液は抗凝固処理されて年代別にラベリング、ボトル詰めされていた。
 いずれの筋肉、内蔵、骨粉、骨髄からも、ヒトDNAが検出された。行方不明者として捜索願を出された者、複数名と遺伝子型が一致した。
 なぜか大手メディアで報じられなかったのは、☓☓党幹部の彼の父親が関わるとも噂されるが、真相は謎である。

 最原終一はバインダーを閉じ、か細いため息を付いた。
 職業柄、というかまだ職業ですらなくただの助手であるのだが、凄惨な事件に触れる機会はそれなりにあった。当然、人の命が軽く吹き飛び、崩れ去った日常の破片に胸を抉られるようなものも。
 しかし今、差し迫る寒気を抑えることが出来ずにいた。
 反射的に口を覆いへなへなとしゃがむ。プラスチックの黒いゴミ箱を手繰り寄せ、顔を突っ込む。げえ、と鳴いた喉奥からは何も出ては来ない。吹き出す冷や汗に手のひらが滑る。涙の膜が張り、視界がぼやける。けほけほと弱々しい咳を繰り返しながら細い背を震わせて、長いまつげを涙に濡らす。胸に空いた穴の痛みを埋め合わせるように、ゴミ箱をきつく抱き留めた。
 最原は自身の軽率さを恨んだ。そして、こんな物を読み漁りながら彼女の姿を思い浮かべる自身を、恨んだ。
 自身の研究室で一人、床にへたり込み最原は呻く。
「けふ、げぼっ……おぇ……」
 ゴミ箱の底に涙の雫だけが落ちるのを、いやに冷静な気持ちで見つめていた。

 フォーク。彼らは生まれながらに味覚を欠いている。そんな彼らが唯一、美味と感じるものがある。
それがケーキと呼ばれる人間だ。
 ケーキの涙や唾液をはじめとする分泌物、血、肉、骨の髄までもが、フォークにとって麻薬じみた「御馳走」となる。その魅力はやがて抗い難い誘惑となり、時に凶行へと走らせる。だから一部の警察関係者や探偵筋では彼らのことをこう呼ぶことすら有った。「殺人犯予備軍」と。

 そのことを知らない最原ではなかった。事件の凄惨さも当然のこと、耳にしたことが無い訳では無かった。でも、好奇心が勝ってしまった。魔が差したのだ。彼女を構成する要素であるフォークというものの実態に、踏み込みたくなってしまった。そしてたまたま、最原にとっての最も手近な第一歩が、この事件ファイルであっただけなのだ。最原は、自身の間の悪さに頭まで痛くなってきた。
 まだ、「約束」までは時間がある。最原は、ふらつく足を叱咤しながら、男子トイレへ向かうべく研究室を後にした。

 事件ファイル 19☓☓年☓月 被告:30代男性
 新興住宅地として開発され都心への交通の便がよく、若い夫婦や単身の電車通勤者の多く住む地域で事件は起きた。
 駆けつけた地元警察官は思わず、大型肉食動物の仕業を疑ったという。遺体は急所を外して腹を破られ、引きずり出された臓物は鋭利な刃物で切り裂かれていた。歯型、犯人の頭髪も複数見つかった。衝動的な犯行手口からその場の欲望に身を任せた犯人像がうかがえた。胸腔はこじ開けられ、心臓は血が啜られて空っぽになっていた。被害者の絶命まで藻掻いた痕跡が残され、死因は失血死であった。
 事件現場が獣の食害を思わせたため、捜査関係者は犯人を「都市ヒグマ」「あの熊の奴」と呼んでいた。
 唾液や指紋など、証拠が多数残っており犯人特定は比較的容易であった。都市ヒグマの正体は、ごく普通と称されるにふさわしい中年のサラリーマンであった。調べに対し犯人は、強烈な飢えと渇きを訴えるのみで会話にならず、とてもまともな取り調べは出来なかったという。
 裁判を待たずに新興都市の熊は自らの命を絶った。

「全ッ然だめ!」
 ジャラン! とピアノの弦が不協和音の悲鳴を上げた。次いで慌てて、ごめんごめんと鍵盤をさする。
 ピアノバカとして生きて十余年、こんなのは初めてのことだった。ピアノと指先が別物になってしまったみたい。いや、元来別物であることはむしろ正しいのだが、赤松楓にとってはあるまじき事態であった。ましてやピアノに八つ当たりしてしまうなんて。

 まず、曲に気持ちを乗せることが出来ないのだ。楽しい気持ち、前向きな気持ち、穏やかな気持、優しい気持ち。そういったプラスの感情を曲に乗せて、聞く者の心に直接届く旋律を奏でることが、赤松の持ち味であった。鍵盤と手指が一体となったような演奏の正確さ滑らかさはもちろんのこと、人を笑顔にするのが赤松楓のピアノであった。
 ところが今や、どうだろう。赤松自身の心が定まらず、絶えず揺れ動いて、時に独りでに走り出して、時になんの前触れもなく涙がポロポロと止まらなくなって、自分で自分のことが分からなくなってしまって。こんな事ではみんなに笑顔を届けるどころではないのだ。
 人差し指を曲げて、顎に当てて考える。きっと探偵さんならばこんな風にするんじゃないかな、と思うように。心当たりはありすぎるほどにあって。だからこそ思考は空回りに遠回りして、子犬のワルツのようにくるくると目まぐるしく円をなぞって、止まりかけのコマのようにゆらゆら回り、ついにはその場にへたり込んだ。
「ああ、もう!」
 そして直ぐに立ち上がった。
 赤松楓は立ち止まらない。いつだって前を向き、より明るい方角へ突き進む。たとえ明日が、その身を滅ぼすものだとしても。

 まだ早いけど、行っちゃおうかな。約束にはまだちょっと、早いけど。
 思いついたら赤松の心は秋晴れに晴れた。そうしたならば即、実行。鍵盤を布でひと拭きしてピアノに蓋をし、リュックサックからお弁当の包みを取り出す。それだけで踊る心をなだめすかしながら、小走りに部屋を後にした。

 事件ファイル 20☓☓年☓月 被告:20代女性
 違法薬物による検挙が発端であった。
 任意の立ち入り調査に了承を得て入ったアパートの一室には、インスタント食品やペットボトルの空容器が散乱し、足の踏み場もなかった。彼女自身は擦り切れ、色褪せた高校時代のジャージを着ていたという。
 その中で一際目を引く異様な空間が有った。
 六畳ほどのワンルームの一角に黒光りする安楽椅子が置かれていた。そこには一人の男性が縛り付けられていた。男性は、薬物により昏睡状態であったが、髭は剃られ髪は整えられ、皺ひとつない純白のシャツを着せられていた。その様子はまるで祭壇のようであったという。肌は丁寧に拭われていたが青白い顔をしており、辺りには大量の瀉血用の針と金メッキのゴブレットが散乱していた。
 女性は、彼は私の宝物であり神様であり救世主であるとの旨を、恍惚とした表情で供述した。
 昏睡状態から目覚めた男性は開口一番、慌ててこう言ったという。「僕の彼女はどこですか、無事なのですか」と。


「なに、これ……」
 赤松はバインダーを閉じた。
 背筋を登る寒気があった。しかし同時に、冷静な頭のどこかで、納得があった。

 自身がフォークであることに目を背けてきたわけではなかった。しかし深く考えたこともなかった。だって困ったことなんて無かったのだから。
 赤松楓は前向きだ。超高校級のピアニストであると同時に、いやそれ以前に、暗闇の中に光の筋を見つける天才だ。だから味覚がないことなど彼女にとっては瑣末事であったのだ。味覚がなくとも食感がある。時に嗅覚も助けになる。
 食物は、見た目にも楽しいものだ。食事の時に他の人と話題を合わせることだけは苦手であったけれど。赤松楓の人生にはさして差し障りのないことであった。
 あったはず。だったのだ。

 殺人犯予備軍。それが赤松ら、フォークの陰での呼称だ。そんなことを知ったのはいつの事であっただろうか。それでもまだ、我が事とは捉えられていなかったのだろう。だって自分が味覚を感じる世界なんて夢にも思っていなかったから。他害、ましてや殺人を犯す可能性など、現実味がなかったから。
 結局は他人事だったのだ。
「そっか。そういうことだったんだ」
 赤松は納得した。すとんと腑に落ちた。自分は恋する乙女でなど無かったのだ。赤っ恥だ。いや恥知らずだ。むしろ破廉恥だ。
 所詮は犯罪者予備軍。欲に飢えただけの獣。そこに恋慕の情など無かったんだ。欲を愛と勘違いした愚かな、滑稽な、獣だ。そう思うと、パズルのピースが音を立ててかみ合った気がした。
 赤松は元あったようにページを開く。角度を調節して、机の上に広げ直す。お弁当箱の包みを持って部屋を出ようとしたその時。
 扉が開いた。

「あっ! あかまつ、さん」
「最原くん…………」
 二人は青い顔を見合わせる。どういう表情を作ったら良いやら、分からなかった。
 最原には天性の勘がある。知りたくないことまでも知り得てしまう。才能柄、人間観察は得意な方だったから。わずかな現場の違和感も、読み取ってしまうから。
「読んだんだね」
「うん」
 赤松は頷く。しっかりとした声音になっただろうか。ここで震えちゃだめだと、自身を叱咤した、奮い立たせた「うん」だった。
「最原くん、あのね」
「赤松さん……」
 最原はその先を聞きたくなかった。彼女の名を呼んで、でもそれだけだった。
「私、最原くんが大事なの。だからね、最原くんを傷つけたくなくて」
 聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない! 
 でも、止める権利なんて、最原にはある気がしなかった。
 彼女の苦しみを、少しでも分かち合おうとはしただろうか? いたずらにその場限りの快楽を提供して、それきりだったのでは無いだろうか? ただの身勝手なエゴであったのでは? それは、惨いことだったのではないか? 僕がやったことというのは、むしろ彼女を苦しめたのではないだろうか?
 そんなことが無情に回転の早い頭の中を駆け巡って、言葉は何も、出てこなかった。
「だから……いつか最原くんを傷つけるのが怖くて……こわい、怖いよお……」
 赤松の頬を涙が一筋、つたう。そんな顔、見たくなかった。でも、目を背けないことが、せめてもの誠意と感じていた。
「ごめんね、私から言い出したことなのに……ごめんね、でも私たち、距離をおいたほうがきっと、お互いのために良いんだろうね……」
 あの赤松が、絞り出すような声を出す。それが耐えられなくて、耳を塞いでしまいたかった。でも、最後まで聞き届けるのがせめてもの礼儀と、最原は前を見つめた。
「最原くん。さようなら」
 はらはらととめどなく涙を落としながらなお、赤松は笑顔を作ろうとする。そして、お弁当の包みを持ち直すと最原に背を向けて、ドアへと手をかける。
 その腕は、後ろへと強く引き返された。

「……ちがう」
「えっ?」
「それは、違うぞ!」
 最原は言った。たまりたまった感情に押し出されて、つい口をついた、言葉だった。我が事ながら口から出た語気の強さに驚いていた。
 でも止まらなかった。止まるわけにはいかなかった。
「僕は分かったんだ。僕は赤松さんを手放したくない」
「最原、くん……?」
「赤松さん。僕は赤松さんがフォークだと教えてもらったときから、フォークのことをきちんと知らなきゃ思った。知ろうとして、自分なりに調べていたんだ。でもそれは間違いだった。正確には、足りなかったんだ。だってフォークだとかそんなこと、赤松さんのほんの一部の要素に過ぎないじゃないか。僕は赤松さんを知りたい。赤松さんのことをもっと、知りたい。それに、そのためには僕自身のことも、もっと知りたい。もちろん、ケーキであることも、含めて。そうしてお互いのこと、少しずつでいいから知っていけたらと思うんだ。真実から、もう目をそらしたくない」
 だってここで立ち止まったら。二度と彼女に会えないような気がしていたから。
「だからもう少し、赤松さんさえ良かったらもう少しだけでも良いから、僕の側に居て欲しい。どうか、赤松さんも同じ気持ちだと嬉しい、んだけど……どうか、な……?」
 言い終える頃になって、最原は頭が冷えつつあって、最後の方は伺うような怯えるような、口の中で転がすような、しどろもどろになった。

 赤松は俯いたまま、答えない。これまでの人生で最も長い時間。
 静止した時は、やがて唐突に動き出す。

「うわぁ!」
 最原の視界が反転する。胸のうちに飛び込んできた少女を受け止めきることが出来ずに尻餅をつき、遅れて鈍い痛みが薄い臀部に広がる。
 最原のキャップが宙を舞い、はらりと床に落ちた。
「最原くん、最原くん! 聞こえたよ、最原くんの気持ち。私の心まで届いたよ。私だって諦めたくない、最原くんのこと、諦めたくないよぉ……!」
 もう、真っ赤に泣き腫らしたまぶたを最原の胸に擦り付けながら、赤松は叫んだ。わあわあと、堰を切ったように泣く赤松の背に最原はぎこちなく、腕を回した。今度こそ離さないように。せっかく縋り付いてくれた彼女が、どこか遠くへ行ってしまうことなど、ないように。
 抱きとめた女の子の体温は暖かくて、しっとりと重みがあって、柔らかくって壊れてしまいそうで。もう二度と、手放したくなかった。

 最原は待つ。赤松の心の荒波が静まるのを。きっとそれは幸福という感情を覚えながら、ゆったりと待った。しゃくりあげる悲鳴がやがて穏やかな呼吸音となった頃、赤松は恐る恐る、といった風に顔を上げた。
「最原くん、ごめんね、ありがとう」
「どうして赤松さんが謝るの。そんなの、赤松さんらしくないよ」
「えへへ、ごめん」
 赤松はいたずらっ子のような笑みをこぼした。
 その微笑みがあまりにもいじらしくって、小さく出した舌の赤みに誘われたから。最原は、片腕では抱き留めながら、赤松のちいさな顎を掴まえる。そうして、顔を持ち上げると半開きの唇にむしゃぶりついた。
 腕の内でビクリと、華奢な背が跳ねて、固まる。それもほんの一瞬のことで強引に割り開いた唇から、たどたどしい舌先が最原に侵入する。
迷いがあったのもまた、一瞬だった。最原の口腔をひと舐めすると、貪るように吸い付いた。それは生命の源を求める幼子のような、飢えた荒野の狼のような、必死なものだった。口蓋の裏のザラザラしたところ、やわらかい頬、歯列。隅々まで最原を味わって、吸い付いて、舌先に甘噛してまた唇に吸い付く。じゅるじゅると品なく耳を犯す水音さえもが愛おしく、美味しくて、脳の髄が痺れていく。
 ちう、と唇を重ねて互いから舌を引き抜く。とろとろとこぼれた銀の糸さえ惜しいけれど。それよりなお目の前のひとが愛おしくて、呼吸を乱しながら赤松は貪欲に最原を見つめていた。
 最原は最原で、赤松から目が離せなかった。口角からはどちらのものともつかない唾液が筋を描き、半開きの唇はてらてらと濡れて、ふうふう荒い吐息がだだ漏れている。額にはこぼれた金糸の髪が汗に張り付く。頬はすっかり上気して。バイオレットの澄んだ瞳は熱に浮かされどろどろの、きっとそれは見間違いでなければ、ただの食欲のみに依らない「欲」であるとしか思えない、濁りの渦を巻いて燃えてた。
 それらはあまりにも最原には目の毒で。率直に申し上げて、勃っていた。
 だからと言って、何をするつもりでもなかったのだけれど。でも向かい合わせ、膝の上に脱力してへたり込む彼女に悟られるのは非常にマズい、と言うことだけは分かっていた。
「あ、ああ、赤松、さん」
「最原、くん……?」
 なおも熱い息を吐きながら、鼻の先がぶつかりそうなほどの距離で、焦点の合わない瞳が危うげに揺れている。これ以上はマズい。本当に。呑まれてしまう。
「赤松さん、その、これ以上はマズいっていうか」
「あっ……! ご、ごめん!」
 赤松は慌てて飛び退いて、後ずさる。申し訳無さそうにしながらも、荒げた息は隠せずに。
「つい調子に乗っちゃって……その、最原くん、美味しかった、から……」
 そう言いながら赤松の表情は暗く沈んだ。
「さっそく食欲に流されちゃったよ……」
「美味しいものは美味しい、で良いんじゃないかな」
 最原は平静を取り繕いながら言う。
「こんなことで良いのなら、僕が赤松さんの喜びになれることが嬉しいし。それに……僕もその、嫌ではない、かな」
 言いながら、火が出そうなほど顔が耳まで熱くなるのが分かった。
「ずるいよ。最原くん」
 赤松は自身の身を抱き締めながら呟いた。
「私……こんなのじゃあ、足りないかも知れない」
「その……僕も、です」
 正直に答えてみてから最原は後悔していた。ひどく恥ずかしいことを言った気がしていた。赤松が目を見開いてこちらを見る。
「いいの……?」
「でもここだとドアに鍵かからないし、万が一誰か来ちゃうと困るから。今度の木曜日、僕の家、叔父さんも出張で誰も居ないから……だからその、遊びに来ない、かな……?」
 これじゃあ僕が助平みたいじゃないか! 
 そんなことを思いながら、でも他に妙案も無しに最原は提案した。
「えっ、嬉しい! 本当に行って良いの……?」
「えっ、本当に来てくれるの?」
「もう……最原くんが提案したんでしょ」
 ぷう、と膨れてみせる赤松は、しかし嬉しそうだった。
「じゃあ、放課後とかでいいかな?」
「うん、授業が五限までの日だったよね? 私もその日なら予定ないから。うわあ……最原くんの家、楽しみだなあ……!」
 目は腫れぼったいままだけれど。すっかり調子を取り戻した赤松は、無邪気に見える笑顔で喜ぶ。その様を見て最原は、喜んで良いのか緊張してよいのやら、複雑な心境だった。

 木曜日。ホームルームが終わると最原はいそいそと教科書類を鞄に詰め、部屋を後にしようとした。その時に肩を力強く掴まれた。
「よう、終一!」
 振り返れば見慣れた逆毛がニコニコ顔で立っていた。
「百田くん」
「終一! 今日は裏庭で腕立て伏せしようぜ!」
「えっと今日は、ちょっと……」
「どうした終一、オレのトレーニングを断るなんて珍しいな? 具合でも悪いのか?」
 百田は心配そうにしげしげと見つめてくる。視線に晒されるうちにどんどんと、申し訳無い気持ちが湧いてきて最原は、目をそらした。
「そういう訳じゃ、無いんだけど……」
 別にやましいことが……正直、無いわけではないので最原は困りきってしまっていた。
「最近彼女が出来まして、今日は放課後おうちデートをします」「しかもその相手はあの赤松楓です」だって? そんなこと言えるわけがない。無理だ無理。言語化して意識したら今更恥ずかしくなってきた。というかなんで僕があの赤松楓の彼氏をしているんだ。彼氏、彼氏か……この僕に、彼女、か……。
 考えれば考えるほど訳が分からなくなってきて、目の前がぐるぐる回りだした。
「終一、本当に顔色悪いぞ。お前はオレの助手なんだ。何も一人で背負い込むことはない。気軽に相談して良いんだぞ?」
 百田はなおも、最原を気遣おうとする。ありがたい分だけ申し訳無くていたたまれなくて、逃げ出したい気持ちで一杯だった。

「だめだよ百田ちゃん。最原ちゃんはもう死ぬまで治らない、不治の病なんだからさー!」
「何っ?! そうなのか終一! どうして早く言ってくれなかったんだ! 水臭いぞ ……ってテメーか王馬、また嘘つきやがって」
「バレちゃった?」
「あはは……王馬くん」
 乱入者は小柄な体躯に不敵な笑みを浮かべた少年。彼の言葉は嘘と本当が入り混じって混乱するのであった。
「にしし。でもあながち、嘘でもないかもよ」
「どういうこと?」
「終一、こいつの話なんて聞かないほうが良いぞ」
「うわーーん! オレだけのけ者にしようなんて百田ちゃん酷いよおー!」
 鼻水を垂らさんばかりに泣きじゃくる、フリをした王馬はもうニヤリと口角を上げる。
「そんな声に出したらつまらないこと、オレの口から言わせるつもり?」
「つまらないの……」
「じゃ、せいぜい仲良くね。最原ちゃん」
 そうして今度は、この世で一番つまらないものを眺めるような、がっかりした顔を作る。かと思ったら、無邪気な少年の笑顔を貼り付け、「またね」と軽く手を振り去っていった。

「んっ……? ああ、なんだ。そんなことか」
 遅れて百田は、ようやく納得したように頷いた。
「百田くんどうかしたの」
「うんうん、それなら仕方ないな」
「えっ何? どうしたの?」
「行って来い終一!」
 そうして肩を叩かれる。力がこもっていて正直、痛い。
「えっ何? ええ?」
「どうした終一、早く赤松のところに行ってやれ!」
「えっ!」
 最原は頭が爆発するかと思った。どうして、なんで、その名前が。なぜこのタイミングで。
そんなことがぐるぐる巡って、そのまま口に出した。
「どうして知ってるの……」
「おうよ、助手のことなら何でも知ってるに決まってるだろ! 男を見せてこい!」
 快活に笑いながら最原の背中をビシバシ叩き、宇宙柄の裏地を翻して百田解斗も去っていった。
 一人最原は取り残される。
 なんで知られているんだろう。隠していたつもりだったのに。そう思って、ぽかんとしてしまった。
 我に返り、待ち人を待たせていたことを思い出すと、待ち合わせ場所へと急いだ。
「お待たせ最原くん!」
 赤松楓は校門前にやや遅れて現れた。その顔は、なぜか赤い。
「赤松さん、顔赤いけど大丈夫? 体調悪いなら今日は帰っても……」
「大丈夫! ほんと、そういうのじゃない、から」
 そう言いながら赤松の顔はますます赤くなる。
 赤松は赤松で、最原くんも顔真っ赤なんだけどな、とは、気付いていたけれど言わなかった。

 最原の家は閑静な住宅街にあった。
 最原が扉を開けると薄暗くて、お香のようで懐かしいような、落ち着く香りがふわりと流れてきた。赤松には嗅ぎ覚えがある。これは、間違いなく最原の制服にも染み付いていた匂いで。赤松は耳に熱が昇る。
「お邪魔しまーす」
 赤松は物音一つ無い、無人の家に声をかける。スニーカーを脱いで揃えると、靴箱の上へ目をやる。対角線に敷かれた生成りの麻布の上に、椿の蕾が一輪飾られている。

 部屋に上がると赤松は紙袋から箱を取り出す。
「大したものじゃないけど、もし良かったら食べて」
「そんな。わざわざ気にしなくていいのに……ありがとう」
 最原は恐縮しながらそれを受け取る。
「荷物はそこに置いて大丈夫。良かったらこの座布団がある方の椅子使って。ダージリンとアッサムがあるけど、どっちが良いかな」
 最原は早口にまくしたてる。そもそも、友達だってそうそう家へと招いたことなど無かったのに。がちがちに緊張していたのだ。
「ありがとう。じゃあアッサムにしようかな。ミルクある?」
 そんな最原の様子が、赤松は楽しくて仕方ないといったように微笑みながら、椅子に腰掛けた。
「ポーションと普通の牛乳があるけど」
「普通ので」
「分かった」
 最原は湯を沸かす。小さめのポットに茶葉をティースプーン二杯と半分。缶に記載された抽出時間を凝視する。三分間にキッチンタイマーをセットして、スタートと同時にカンカンに湧いた湯を注ぐ。そしてそれらと、ミルクピッチャーに念の為、ガムシロップも籠に入れて盆に乗せ、テーブルへと運んでくる。
 その姿を赤松がにこにこと見つめている。
「お待たせしました」
「ふふ、最原くん、メイドさんみたい」
「ええ……東条さんみたいにはいかないよ」
「ふふふふ……」
 赤松はご機嫌なようで、盆からティーソーサーにティーカップを下ろして二人分配る。
 最原はもらった箱のリボンを解く。黒い包装紙から出てきたのは薄いパステルピンクの缶。それをさらに開くと出てきたのは、市松模様に渦巻き、絞り出された抹茶メレンゲにナッツの乗ったチョコレート味と、色も形もとりどりなクッキーの詰め合わせだった。
「わあ、可愛いね」
「そうなの! 美味しい……かは私には分からないんだけどね」
 へへ、と困ったように笑う赤松を、最原は微笑みで先を促した。
「これ大好きだから。最原くんにも食べてもらいたいなあと思って」
 照れたように赤松は言う。
 その時、キッチンタイマーがけたたましく鳴った。慌てた最原は一秒でも遅れぬようにとタイマーを止める。その様子がおかしかったのか赤松はくすくす笑った。
「何かおかしいの……」
 少しだけ拗ねたように最原は言う。
「ふふふ、ううん。最原くんが一生懸命淹れてくれた紅茶、楽しみだなあ。紅茶大好きなんだ。私だって、香りだったら分かるからね」
 そんなことを言われると逆にプレッシャーになるじゃないか! そうは思っても後戻りは出来なくて、かちこちの最原は、渾身のあつあつアッサムをサーブして、赤松の方へと寄せた。
 赤松はカップを手に取る。まずはミルクを入れずにふうふう息を吹きかけて、温度の下がったわずか表面のみを啜る。飲み下し、上下する喉の動きまでもを緊張しながら最原が見つめること、二秒半。
 赤松はふやけたように破顔した。
「おいしーい!」
「そ、そう? ああ良かった……」
「音楽もそうだけどね。紅茶ってその人の心が映ると思うんだ。最原くんが丁寧に淹れてくれた紅茶、期待していたよりずっとずっと、優しい香りがするよ」
 赤松はすう、と湯気を吸い込む。そうして改めて、ふにゃりと笑った。
 最原は思い切り照れてしまって、真っ赤になって黙りこくった。
「ねえ、最原くん」
「な、なに?」
「……ね、せっかく誰も居ないなら」
 そう言って、物欲しげな上目遣いをしてくるので。最原は、即座に意図を解して席を立つ。腰をかがめて赤松に視線を合わせ、目を閉じて、接吻した。
 初めは小鳥がついばむように。唇と唇、同じ粘膜を食む。やがて、肩に腕を回して抱きついて。舌を小さく出して見せると、舌先が絡められる。ちう、と音を立てて吸い付くたび、胸が、、腰が、身体がどちらともなく波打つ。粘膜と粘膜が擦れる感覚がこそばゆくって気持ちよくて、いつまでもこうしていたかった。
 時間は無情にも有限で、どちらともなく唇が剥がれる。
「あの、最原くんその……」
 言い出しにくそうに赤松は言う。その顔は上気して、ふうふう荒い息は甘やかで、要するにすっかり出来上がっていた。目と鼻の先、間近にそんな顔を見せられてしまって、最原の心臓は早鐘を打っている。
「赤松さん……僕の部屋、来る?」
 赤松の顔がいっそう、紅に染まる。しかし返事は率直で。ゆっくり、しっかりと頷いた。

 二階の東向きに最原の部屋はあった。扉を開けると懐かし匂いがした。それは年季の入った古本屋のような匂い。男子高校生のものと言われなければ書斎か小さな図書館と見違えるような部屋だった。
「たくさん本を読むんだね」
「本って言っても小説ばっかりだけど……」
「へえ、どんなの読んでるの?」
「うーんジャンルは決まってないけど。純文学とかノンフィクションとか。児童書も読むし、ライトノベルもいくつかあるよ。推理小説は……あんまり得意じゃないけど」
「すごいね、私も本読まなきゃなあ。おすすめあったら教えてね」
「うん。これなら面白いって思うのがあるから、帰りにいくつか貸すよ」
「ほんと? 最原くんおすすめの本、楽しみにしてるね!」
「僕も。好きな本を赤松さんに読んでもらえるの、すごく嬉しいよ」
 喋りながら赤松が、ごく当たり前のようにベッドに腰掛ける。
 最原は自分だけデスクに座るのも違う気がして所在なくて、しかし結局、その隣へと腰掛ける。隣り合う手のひらを、花びらを掬うように優しく掴むと、重ね直されて指を絡められた。
 見つめる先には熱っぽく浮かされた顔。お互いに、早まる鼓動の音まで聞こえてきそうなほどの距離。自身を欲する瞳の色に吸い込まれて、呑み込まれてしまいそう。このまま、甘重い空気に身を委ねてしまいたい。
 そこで最原は慌てて思い出し、ベッドを軋ませながら立ち上がった。
「あの、ちょっと待って」
 最原は、右側下段の本棚の本をごそごそと漁り、そのうち数冊取り除くと、その裏から何か、小さいものを取り出した。
「その、一応用意してみました……」
 そうしてうやうやしくも恐る恐る、献上するように小箱を取り出す。スタイリッシュな白の前面に印刷されたのは、金色に箔押しされた0.01の文字。
「最原くんのえっち! すけべ!」
「えっごめん」
 ぽかすかと殴る動きだけしてみる赤松に驚いて、最原は反射的に謝った。
「ううん、……嘘だよ」
 へへ、といたずらっぽく赤松は舌を出す。でもそれはいたずらっ子と言うよりは、妖魔の類に最原には見えた。
「私も。それなりのつもりで来たから」
 赤松の瞳に決意の炎が燃える。それは、今度こそ間違いなく、欲情の炎でもあった。
「でもちょっとその前に……お風呂借りてもいいかな」
「あっそうだよね、ごめん……でも、着替えある?」
「あっ……持ってきてないや」
「僕のでよければ貸すよ」
「ありがとう、お願いしても良い?」
「もちろん。お湯沸かそうか?」
「ううん、シャワーにする」
「分かった。それじゃあ着替えお風呂場に置いておくね」
「うん、お願いするね」
「お風呂場は一階に降りて向かって左だから」
「はーい、それじゃあお借りします」
 赤松は部屋を後にした。
 どんな顔をして待っていれば良いんだろう。というか僕も、入らなきゃな。というか本当にこのまま事が進んでしまうのか? 
 そう思ったらますます落ち着かなくなってしまって、最原は回らない頭で洋服箪笥を引っ掻き回した。

「お待たせしました!」
 赤松は勢いよく部屋に飛び込んできた。
「あんまり着てもらって大丈夫そうなのなかったから……そんなのでごめんね」
「ううん。全然、十分だよ」
 赤松はそうは言うものの、最原が提供した紺グレーのボーダーシャツは丈がダボダボだが胸はパツパツ。というか考えてみれば当たり前というか、ブラをしていなくて。健全な男子高校生らしく、最原には目に毒も良いところで。自分で選んでおきながら軽く後悔、いや興奮していた。
 そして分かったことがある。
 ダボダボTシャツにジャージ姿でも僕の彼女はかわいい。
「あっ! いま悪いこと考えてるでしょ! めっ」
 赤松がふざけたように怒る。
「最原くんもそんな顔、するんだね」
 そうして艷やかに口元を歪めた。
「ちょっと待ってて。僕も急ぎでお風呂入ってくるから」
「慌てなくて大丈夫だよ。私、待ってるから」
 髪をタオルで拭きながら、赤松は気楽に言ってくれる。
 最原は用意していた着替えを掴むと、爆発しそうな心臓を抱えながら、風呂場へと急いだ。


 湿っぽい吸啜音と、衣擦れの音が響く。軽く唇を合わせたら、頬へ、首筋へ。ちう、と小さな音を立てながら、青白いほどに白い体躯をベッドに押さえつけて赤松は、吸い付く。喉仏をひと舐めして、甘噛みしてみる。びく、と小さく肩を跳ねさせた最原だったが、それきりだった。だから少しだけ、ほんの少しだけ力を込めてみる。
 最原の皮膚はじんわりと甘くて、気管はこりこりと弾力があって、その食感だけで脳髄がしびれる。そのまま噛み切ってしまえと。囁く本能に抗って、物惜しげに離した。
「本当に、最原くんって。甘いなあ」
 揺れる声音。最原の理性までもを焦がす、魔性の声だ。
歯牙から解放された最原の喉笛にはくっきりと、歯型が残されていた。生命の要を押しつぶされながら最原もまた、朦朧とした熱を胸の内に籠もらせていた。
赤松さんが僕を欲しがっている。
全身で感ぜられるその事実がどうしようもなく嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。

「終一、くん?」
 最原は耳を疑った。囁くような、甘ったるい声で、自分の名前の方で呼ばれたような。
「終一くんも、私のこと。触ってくれていい……んだから、ね?」
 最原の上に覆いかぶさりながら、隠しきれない照れ混じりに、赤松は誘う。
 聞き間違いじゃなかった! 名前で呼ばれた! たったそれだけのことでそわそわと落ち着かない気分になる。
 目の前の赤松は蛍光灯の光を背にして顔に影が落ちていて、爛々とした瞳だけが輝いている。かきあげた髪はまだ湿っていて、重たく垂れる。
 最原は。彼女の思惑通り理性がどろどろに溶かされて、目前に迫るものにそう、と手を伸ばす。

「あっ、ふ、ふふふ。そこから行くんだ」
 赤松はこそばゆそうに笑った。最原はむっとした顔をしてみながら、いざ掴んでみた胸の軟肉を、揉む手を止めることが出来ずに居た。
 大きい、とは思っていた。でも、ジロジロ見るのも失礼なように思えて、あまり気にしないように努めていた。しかしこう、実際に手のひらに包んで揉んでみると、その大きさが実感させられる。大きくてそして、温かくて、流動するかのように柔らかかった。最原に覆いかぶさり、重力に従って垂れている両の乳房を、持ち上げるように揉む。寄せ上げて、少し指に力を込めてみて。どんな手の動きにも吸い付くように自在に形を変え、弾力を伝えた。
「おっきい……」
「ちょっと、そういうこと言う?!」
 語気を強めてみる赤松だったが、その顔は羞恥で染まっていて、身体を支える腕はふるふると震えていた。
 最原は赤松を抱えてごろりとベッドを転げる。赤松を下敷きにのしかかり、Tシャツを捲くり上げた。
「ちょっと……」
 思わず抗議の声を上げかけた赤松だが、それ以上は、何も言わない。
 横に流れた乳房を両側から包んで、手のひらで包みきれなくて、でも、もったりと持ち上げる。頂きに艶めく桃色の乳首が眩しくて。吸い寄せられるように最原は口を寄せていた。
 ひく、と身体を震わせたがそれきりな彼女を良いことに、舌を這わせる。柔らかくて張りのある甘い肌は、自分のと同じグリーンフローラルの匂いがしていて。何かいけないものを見つけてしまったような、罪深い気分になった。
 調子に乗って最原は軽く歯を立てる。決して傷つけることなどないように、こわごわと。弾力のあるそこは、同じボディソープを使ったはずなのに、不思議と優しい甘みがあった。
 乳房の横まで舌先をぬらり這わせて、吸う。薄く浮いた肋に、みぞおちへ、腰骨へ、そして臍へ。丁寧に、優しく口付けを落として赤松の身体を辿っていく。彼女の身体は隅々までやわらかで、瑞々しくて、いい匂いがする。

「終一くん!」
 切羽詰まった声が降らされた。
「あっごめん嫌だった、かな……」
「私も。やる!」
 えいっ。という掛け声とともに最原の身体がベッドにぼふ、と落ちる。決して広くはないベッドの上で、見つめ合って二人、横になる。瞳と瞳を向け合いながら、最原のTシャツが捲られる。たどたどしく、でも繊細な指先がするすると薄べったい横腹を撫ぜていく。
「……続けて」
 赤松が言う。最原ははっとして、止まっていた手を赤松へと伸ばした。背中から腰まで、抱えるような長いストロークで撫ぜて、胸へと還って乳房を揉む。
「えへへ……」
 見つめ合ったまま。照れるように赤松が笑う。その顔がかわいくて、かわいくて、気付けばつい、頬にキスをしていた。
「あっ、ふふ、へへへ」
「えへへへ……」
 戯れのようなキスをして、最原も笑う。
 幸せだ。例えひとときで終わってしまう、一瞬の煌きであったとしても。これが幸せっていう、やつなんだろう。
 最原は知りたての幸せというものを、胸いっぱいに噛み締めた。

「終一くぅん?」
 赤松が口を尖らせる。
「赤松さん?」
「もう終わり、なの……?」
 そう言うと赤松は最原の背に手を回して、抱き寄せた。
 最原の胸に、柔らかい双丘が押し当てられる。シャツがめくれてあらわになった素肌と素肌を透かして、胸の鼓動が伝わってくる。優しくて、力強いリズム。大切な人の命の音。きっと、相手にもこの早鐘が、伝わってしまっているだろう。
 最原は手探りで、赤松のジャージを下ろしていく。ズボンを剥ぎ取ったなら腰骨を伝って、下腹へ。ショーツ越しに湿ったそこを触ってみる。胸の中でひくりと身動ぎするのが分かる。反応を気にするとどうにかなってしまいそうだから。なるべく気にしないようにしながら最原は、探り探り、布越しの秘裂をなぞる。
 さして抵抗もなかったから、ショーツの中へ手を忍ばせる。女性のことはよく知らないから、おっかなびっくり、秘部のわれめに指を差し入れる。そこは既にしとどに濡れていて、割り開けばくち、と水音が鳴った。
「ひ、うう」
「あっ……大丈夫?」
「うん、たぶん……」
 少し顔をしかめながら、赤松は健気に笑った。
 確かここ、と探り当てた前の方。芽のように膨らんだものを捕らえる。
「ひい、ぃぃ」
「これ、……痛い?」
「ちょっとだけね……でも大丈夫」
「分かった」
 律儀におうかがいをたてて最原は、よく分かっていないそこをいじくり回してみる。
 聞いたことがあるのだ。女性であれば触れられれば必ずや感じてしまうという、敏感な箇所の存在を。
 人差し指と中指で包皮を押し込むと、肉欲に熟れて膨れた、物欲しそうな秘芽がせり出してきた。こりこりと腫れた芽を、好奇心混じりに、扱くようにつまみ上げる。
「ヒァッッ!」
 赤松が身を捩る。愛液を潤滑剤代わりに指に絡め取りつつ、突き出たところをさするように撫ぜる。
「ふーっ……ふっ、ふ……ふぅーッ」
 息遣いは獣のように荒く、こらえきれない何かを吐息から逃そうと、躍起になっている。それでも赤松は、最原に身を委ねることを選んだ。
「気持ちいい……のかなあ」
「分かんない、分かんないよぉ……」
 赤松は髪を振り乱して言った。本当に分からなかったのだ。下腹に篭もる熱の正体を探りあぐねる。探りあぐねる間にも、お腹が熱くてむず痒くて、切ないような不安なような、味わったことの感覚がするのだ。
 最原は、そういう生き物のように肢体をくねらせる赤松楓を目の当たりにして興奮した。しかし決して傷つけることなど無いように、ぬらぬらと円を描いて、いいこいいこと、固くなった芽を撫でた。
 それは赤松にとって拷問のような責め苦だった。どんなに身を捻ろうと、執拗にまとわりついてくる指先に、未知の刺激を注ぎ込まれ続ける。地面に足がつかないようで、熱に押しつぶされるような、知らなかった感覚だ。
「赤松さん。力、抜いて……」
「はーっ、はっ、はぅ、」
 そんなことを言われたって無理なお願いだった。痛痒さに太ももの内側をすり合わせながら、それでも健気に頷いてみる。でも不思議と嫌だ、とは思わなかった。
「はあ、ぁ、な、なんかぁ! あん、ぁ、なんか変! 変、なの!」
 赤松が涙ながらに訴える。最原は、血眼になって彼女の姿を捉えていた。興奮して、扱く指先に力が入る。ぬるぬると滑って、糸を引いて、擦って、扱き上げて、グチュグチュと音を立てながら、追い詰めていく。
「ひゅ、ひい、ぁ、ひああ……!」
 赤松の身体が跳ねた。大きく跳ね上がって、一度のみにとどまらず、ビク、ビクリと緩急を付けて、跳ねた。最原の手のひらに、ぷし、と熱い愛液が撒かれる。
 揺れ動く肌。緩んでは張り詰める筋。それらを最原は、美しい、と感じた。
 赤松は朦朧としていた。熱を放ったばかりの体躯をベッドに預けながら脱力する。ふうふうと息を切らしながらビクビクと震える下腹を、きっとそこは目覚めたての子宮を、持て余していた。

 赤松を果てさせた最原の指先が離れてゆく。しかしその腕をひしと掴まえて、赤松は言うのだ。
「もっと。いいよ……」
 最原は、戻しかけたその手を再び、ぐしょぐしょのショーツへと潜り込ませた。探り探り見つけた小さな穴に、そっと中指を差し入れる。入り口は少し抵抗があったものの、中は温かく、溶けてしまいそうに滑っていた。
 そうして理性を溶かされゆく最原の、ズボンが不意に降ろされる。
「えっ」
「私もやるの。最原くんも気持ちよく、なろ?」
 赤松は器用にスラックスを剥ぎ取ると、チェック柄のボクサーパンツから、すっかり膨らんだものを取り出して、探るように擦り始めた。唐突な刺激に最原は腰を引きそうになるが、器用な指先はそれを許さず、柱を這う蔓のようにまとわりついた。
 ピアニストの大事な指にこんなことをさせるなんて。浮かんだ罪悪感は、しかし快楽にかき消されていく。
 負けじと最原は指を動かす。入り口を慣らすようにぐるりと、一周。どこが良いかなんて分からないから、ふにふにと、暖かなひだを手当り次第に潰してみる。その度にひくひくと、胸の内のひとは震えた。
「ね、終一くん。どこがきもちいの? 教えて?」
「そっ、そこ……いまこすってるとこ、気持ちいい、です」
「ふんふん、なるほどね……」
 登ってくるものを必死でこらえながら最原は、差し入れる指を増やす。今度はいくぶんかすんなりと侵入出来た。人差し指と中指を同時に曲げてみて。こぷこぷと蜜を零す壺をぐるりとなぞりあげて、指を開いて広げてみる。
「うぅー……」
「大丈夫?」
「うん……」
 指が止まりかけながら赤松は答える。ふうふうと、生まれてこの方知らなかった、内側への衝撃を逃しながら。
 最原の方も、今にも出てしまいそうで気が気でなかった。
「赤松さん、もう、僕……」
「そうなの?」
 なんて軽く言いながら赤松は、身を起こしてベッドに座り直して、シャツとズボンを脱ぎ捨てると、最原の股間へと屈んだ。
「赤松さん?! 何やって……」
「せっかくだから、終一くんの……ちょうだい?」
 捕食者の瞳をギラつかせながら懇願する、その口先は既に最原の亀頭へと添えられている。ダラダラと垂れていた先走りを舐め取って口に含む。舌の上で転がすように味わって飲み下す。
「汚いから、そんなこと、いいよ……」
「汚くなんて無いよ。とっても、美味しいよ?」
 赤松は髪をかきあげて、今度はより深く、皮をずり下ろして顕になった亀頭のすべてを、口に含む。早く欲しくて先端を軽く吸ってみる。そう言えばここが良かったんだっけ、と思い出して、裏筋をしこしこと軽い力を込めながら、奏でるように撫でさする。
「ふっ! はあ、ああっ!」
 促されて最原は、呆気なく達した。出された精液は、一滴も逃すまいという決意を持って吸い取られる。尿道に残っていた精液までもを吸い出すように。
「ちょっと赤松さん! ティッシュならここにあるから」
 ティッシュボックスを差し出す最原を無視して、赤松はくちくちと、濃い白濁を噛み締める。ずっと楽しみにしていたとびきりのごちそうを味わうように。ちょっとずつ、楽しそうに、飲み下していった。
「おいしーい……」
 熱に浮かされたように赤松は、恍惚としてつぶやく。
「……そんなに?」
「うん、……バニラの香りってあるでしょ? そんな感じでね、味があるの。甘いんだけどくどくなくて品が良くて、とろとろしてて……最原くんはやっぱり、美味しいなあ」
 そんな聞くに耐えないことを告げながら、捕食者の眼光で最原を熱っぽく見据えるのだ。
「ふふ、まだ勃ってるの?」
「そんなに見ないで……」
 最原は、射精の余韻から抜け出すことも出来ずに、重だるい腰を抱えながら、顔を赤くしてそっぽを向いた。
 赤松はおもむろに立ち上がる。最原を置いてすたすたと歩いていってしまう。待って、どうしたの、と言いかけたとき、何かを掴んで戻ってきた。
「これ。せっかく買ったんでしょ」
 きれいな長い指に握られているのは、紛れもなくコンドームだった。

 最原は裏面の説明を凝視する。意を決して箱を開けると包みを一つ取り出す。良さそうなのを買ったつもりではあったけど、これで五個入りかと、より身が引き締まる。袋に書いてある文字も熟読してから、ようやく中身を取り出した。パッケージの蓋を剥がすと透明なポリウレタンが入っている。
説明と交互に見比べてようやく、痛々しいほどに膨張した先端にあてがう。破けないよう、爪を立てぬよう慎重に、焦りを自覚するからこそ慎重に、くるくると下ろしていく。

 その間、たっぷりとお預けを食った赤松は、ジャージもTシャツもショーツもとっくに脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿で、内にこもる熱を逃さぬよう、うつ伏せて枕を抱き締めながら待っていた。
「準備、出来ました……」
 最原が声をかけると、うう、ともむう、ともつかない声を上げながら赤松は仰向けになって両腕を広げた。
「来て……」
 最原は赤松の腿を割り開き、間に陣取る。いざ、秘所を眺めてみると、ぐしょぐしょに濡れていて、目に毒なほどのピンク色に熟れていた。思わず視線が止まり、逸る気持ちを抑えながら息を呑んだ。
「もう、そんなに見ないでよ……!」
「ご、ごめん」
 顔を腕で覆いながら赤松は叫んだ。怒られて最原は自身のものに手をかける。入り口にあてがった剛直は滑って逃げた。もう一度、今度は深呼吸して、気を落ち着かせてから、よく場所を見て、一思いに突き入れる。
「ひっ……いっつつつ……」
「赤松さん!」
「ちょっとごめん、しばらくこのままで……」
 衝撃を逃すように赤松は、深くて長い息を吐く。改めて最原は、彼女を眺める。たわわな胸、浮いた鎖骨。豊かな曲線を描く太ももと広く張り出した腰骨に、すぼまった臍。最原は、柔らかく締まったウエストに触れてみる。ひくひくと、よく調律された楽器のように、指の動きに合わせて赤松は身じろいだ。
 きれいだ。最原は思う。彼女が、こんなにも美しい人だと知っているのはきっと世界で僕だけだ。そう思うと、ふつふつと湧き上がってきたのはきっと、独占欲だった。
「もう、いいよ」
 赤松からお許しが出る。そうは言われても慎重に、ゆっくりと、馴染ませるように挿入を進める。ポリウレタン越しに暖かくうねるきつい肉ひだを感じて、ともすれば動き出してしまいそうで、腰が爆発しそうだった。
 やがて先端に、グミを押しつぶすような弾力を感じる。軽く押し潰してみると、赤松は少し苦しげに呻いた。
「これで全部……だよ」
「うん……」
 赤松はぼんやり返答する。
「動くよ?」
「いいよ……」
 最原は限界だった。
 腰を、まずは引いてみる。むっちりと暖かな肉が最原を逃すまいと絡みつくから、引き戻されるように再び挿れる。肉壷は最原が動く度にうねうねとまとわりついて、雄茎ごと持っていかれそうだった。
 吹き飛びそうな理性をどうにか、欠片だけでも握りしめながら最原は観察する。わずか、ほんの僅かに顔をしかめる箇所を発見する。
「ううぅ……」
「ここ……痛いかな?」
「ちがうの、きもちい、の……」
 そう言って赤松は、怒張を咥えこんだままがばりと起き上がり、最原を抱き寄せた。いわゆる、対面座位という体位となって、赤松は腰を前後に動かす。
 不意に加わった刺激に最原は腰を引きそうになるが、この体勢では逃れようもない。結果、自身ももぞもぞと動くこととなり、密着した彼女の肌をより感じることとなった。
「赤松さん、赤松さん……!」
 切羽詰まって名を呼ぶ。
「終一くん……」
 熟れた顔が、汗に濡れた髪が、とろんと蕩けた瞳が、つぶさに見て取れる。ぽかりと開いた口に舌を割り込ませると、熱い舌先が遠慮もなしに侵入してきて、じゅぷじゅぷと口腔を犯していく。ぎいぎいと耳障りにきしむスプリングの音さえ二人にはもう、聞こえていない。
 夢中で身体を絡ませて、全身を、余さずに彼女の、彼の。すべてを感じて動く。
「あっあん、あ、あんっ、……ああっ!」
 甘い喘ぎが部屋に響く。その声に促されて、馬鹿になってしまったように腰を振る。もう恐れない。怖くない。二人を遮るものなど何もなしに、高みへと昇りつめていく。
 びくりと赤松の肢体が跳ねる。ぎゅう、と中がうねり、剛直をきつく締め付ける。
「ふう、うっ、ううぅ……」
 最原は射精した。長い、長い、時が止まったかと錯覚するような吐精だった。精を吐いて、吐きつくして、やがてばったりと脱力した。
 二人して、ベッドに倒れ込み、互いを見つめる。涙と汗と、どちらのものともつかない体液で、ひどい有様であったけど。今までで一番、美しいひとだった。 

 夕闇に沈んだリビングの電気を付けると、たっぷり放置されたティーセットと対面することとなった。そして同じく、開け放しのまま放置されたクッキー缶も。
「あっ、忘れてたね……」
「本当だ。もう冷めちゃったよね」
「せっかく最原くんが淹れてくれたのに。ちょっともったいなかったな」
「ううん。気にしないで」
「今からでも頂こうかな」
ローテーブルに紅茶とクッキーを運び、L字に置かれたソファに、隣合わせで二人は座った。
赤松は最原を見つめる。白い首元には赤く、噛み跡が花弁のように残っている。
「そういえば最原くん、最近帽子かぶってないね」
「その、なんだろう、ジャマ臭くなったから。かなあ?」
「なにそれ?」
 赤松はくすくす笑った。
「私は帽子がないほうが好きだな」
「そう?」
「帽子があると最原くんのきれいな瞳が見辛くなっちゃうから。それに、無いほうが格好いいし。私は好きだよ」
「ありが、とう」
 最原は無意識に前髪をいじる。目線を隠すように、照れ隠しに。そんな様子を赤松は、ちょっとだけ困ったように、でも嬉しそうに眺めている。

 赤松は、ミルクピッチャーから紅茶へ牛乳を注ぐ。赤く透明な紅茶が、甘い白い濁りに沈んで染め上げられていく様をゆったりと見つめていた。
 最原は、一番プレーンなバターサブレをつまみ上げると、口に咥える。そして当たり前のように隣の彼女に向き合うと、そっと肩を引き寄せた。
 赤松も唇を寄せる。口移しに差し出されたクッキーを迷うことなく咥えて、噛み砕き、咀嚼する。
「おいしい?」 
「うん」
 赤松はふわりと笑うとミルクティーを口にする。
 冷え切った紅茶からは、温かな香りがした。

 

 

 

 

 

 

あとがき(当時の原文をそのまま掲載します)

 いつもナイスなゲームを教えてくれる友人に勧められて、V3をクリアしたのが今年の初夏。一章で最原終一とともに見事に赤松楓の呪いにかけられ、赤松楓の影に囚われる最原終一に堕ちました。
 あの二人の切なさであり旨味だと私が思っているとところは、恋を恋と自覚する前に摘み取られたこと。月光と陽光のようなまるで違う二人であること。そして、もしもコロシアイという特殊環境でなかったならば話す機会すらなかった他人だったのではないかと思ってしまうところです。そのため悩みはしたのですが、せっかく一冊本を出すならば、本人たちで幸せを選び取って思い切り甘々になって欲しくて、欲の方を優先しました。最赤、互いを知って、高校生らしい甘くて酸っぱい思いをたくさんして本能と欲望のままに動いてしまえばいい。なので今回のテーマは衝動と欲求です。いや、私の同人誌、いつもそれでは??? まあいいか。最赤よ、生を謳歌しろ。
 ケーキバースなのはただの私のカニバ趣味と、御飯食べる推しいっぱい書きたかったのと、赤松さんに攻めて欲しかったからです。推しカプ、食べて食べられてどろどろのひとつになってしまえばいい。食事の所作とえっちの相性って相関するって言うしね。
 食べる食べられるという関係は大変にえっちなものなのです。うひひ。
 そしてここまで読んでくださった皆様にありがとう。初めて書いた最赤で初めての男女カプですが、少しでも楽しんで頂けたのなら至福です。かわいい×かわいいのカップリングだからと思って装丁も思い切りかわいくしようと頑張りました。うまく仕上がってると良いなー。あ! そうそう、遊び紙がバニラの匂いがするはずです。是非ともこすってくんかくんかして、終一くんを摂取する楓ちゃんの追体験をしてくださいませ。それではこれにて、いつかどこかでまた会う日まで。
2020年11月吉日 滑狐