MP100

雨上がり

律は破壊的な物音に飛び起きた。一人ぼっちのリビングルーム。いつの間にテーブルに伏せて眠っていたらしい僕の耳をつんざくのは、ドタドタと不器用に踏み鳴らされるフローリングの悲鳴で。飛び込んできたのは案の定、僕のよく知るひとだった。「うわっ。びし…

傷/傷跡

兄さんにばったり遭遇したのは、生徒会の仕事も終えて学校を出ようとしていた頃だった。すっかり人気のなくなった校庭の犬走りの彼方から兄さんはびっこを引き引き、ひょこひょこと歩いてきた。「自主トレしてたら転んじゃって」僕を見つけた兄さんはそう言う…

兄弟なのに/兄弟だから

「律、どうして泣いてるの」粘着質な水音に混じって鼻をすする音が混ざるのを、人一倍に鈍感な茂夫に気がつけるほど愛しい弟はは泣きしゃぐっていた。見上げてみれば汗と涙と鼻水と、分泌液濡れのぐしょぐしょで、清潭な顔立ちを台無しにした律が居た。「ごめ…

衣替え

ここ弱冠二ヶ月ほど、中学生というやつをやってみての僕の感想は「大したことは起こらないな」と言ったところか。自宅と学び舎の往復。机と椅子が敷き詰められた埃臭い教室に、来る日も来る日も均質に押し込められるひと、ひと、ひと。さして興味もわかない授…

「律、お願いがあるんだけど。猫になってみて」僕は停止した。兄曰く。猫になって欲しい。僕の部屋を訪れて、兄さんはいきなりにそう言った。ような気がする。猫、か。僕の知る猫とは。小さな頭に三角耳をひょこりと揃えて靭やかな身体に尾っぽをゆらり、街中…

僕は桜が嫌いだ。兄さんの中学入学の日には風が強かったのを覚えている。生ぬるく頬を舐めては轟轟と吹き抜けてゆく、うんざりするような春の日だった。おろしたての制服に袖を通した兄さんはいつにも増してぎこちなかった。似合うね、と声をかければ兄さんは…