【アンソロ再録】泥濘にて兄の声を聴く

2020年4月10日(金)に発行されました、モブ律部位開発アンソロジー「Custom」→ (https://bodymbrtantl.jimdofree.com/)様へ寄稿させていただいたものです。
部位としての耳への刺激開発の他、聴覚、いわゆる「催眠音声」的な開発要素も含まれます。
モブキャラが騒がしめの当て馬的に出てきます。
上記大丈夫な方はお楽しみ下さい。

その節は素敵なアンソロを企画下さりありがとうございました。

 

※オリジナルモブキャラクターが登場します

 

 

 

 


 その日のおやつはキャラクターのプリントされたソフトせんべいだったのをいやに鮮明に覚えている。アンパン印の味の薄くてほんのり甘い、ほろほろと脆いせんべいを食んでは、食べかすを几帳面に集め指先で捏ねて、捨てる。菓子盆からもう一袋、個包装に手を伸ばしかけて、やめた。「食べ過ぎちゃダメよ」との母の声を思い出した。訳ではない。在りし日の律は小さな腹を満たして、単純に眠たくなったのだ。
 分厚く垂れるカーテンの隙間から漏れる白い光に、ほこりがきらきらと踊る。物音一つ無い居間には先客が居た。ミントグリーンにチェック模様のこんもりしたブランケットは気配に気づいたのか、もこもこ蠢く。程なくして夏物毛布のお山の主がお目見えする。
「りつ?」
 目と、目が合う。眠たげな、夢を見るような「りつ」だった。声のする方へゆらゆらと、誘われた律は歩む。はらはら舞うほこりをくぐり抜けて、入道雲の上をふかふか踏むような心地がしながら、吸い寄せられる。
「おいで」
 ミントグリーンが開け放たれた。薄水色のシーツに横たわるのは幼い兄。その懐へと小さい律は容赦なしに飛び込んだ。
 ふぎゃ。
 そんな声が聞こえた気がしないでもないが。気にしない、気にしない。お返しと言わんばかりにブランケットがばさりと掛けられて、小さな腕に捕らえられてぎゅうぎゅう抱きしめて、離さない。
「にいさん」
 抱きとめられて声はくぐもった。ちょっとだけ息がしづらい。その窮屈さが愛おしくて、心地よい。
「りつ、りつ」
 子守唄のように兄の声が降る。律は答えない。代わりに、律はブランケットに深々くるまって兄の胸元に顔を擦り付ける。抱きついて、離すまいとしながら背中を丸める。薄暗いブランケットの内で兄に縋り付きながら、胎児のように丸くなる。
「りつ」
 名を呼びながら背中をとん、とん、と叩かれる。それがとろけるようで、温かくて、律の意識は早々にふつふつ細くなる。
「りつ」
 兄が呼んでいる。幾度も、幾度も。白昼の大気に溶けるような自分の名を聞きながら、いつしか幼い弟は、午睡に意識を手放した。



「律」
 注挿が止む。光を真黒く吸い込む兄の瞳が律をひしと捕らえていた。
「んう?」
 返事は寝ぼけたような鼻息になる。鼻を鳴らした律は、尻たぶに垂れていったローションの行方が気がかりだった。
 シーツ、またシミにしちゃうな。なるべく気をつけてはいるんだけど。
 そんなことを、まどろみの意識で思い浮かべる。
「りつ。聞いてるの?」
 おっと。これはちょっと、怒らせたな。こうなった兄さんは少々厄介だ。僅かだが、しかしはっきりと怒気を帯びた声音に引き戻されて、律は目前の兄に改めて対峙することとなる。
 そう、たった今の今まで、弟の両腿をわしと掴んで真正面から一心不乱に腰を打ち付け、注挿を繰り返していた、影山茂夫に。
「何が」
「何って、ボーッとしてたでしょ」
「ん? そうお?」
「うん。してた。心ここにあらずって感じだ。……どこか痛い? 今日はもう、やめようか」
「そ、そんなこと無いよ! ただ、なんて言ったら良いんだろう……。ちょっと、昔のことを思い出してたんだ」
「昔の?」
「うん。ほんとに、なんて言ったら良いかな……全然大したことじゃないんだけどさ。……小さい頃、父さんも母さんも出掛けてて、僕と兄さんしか居なくって。仲良くねんねしてね、なあんて言われた日の午後にさ。兄さんに呼ばれて一緒にお昼寝してて。あの日のブランケットは温かかったなあ……って」
「そんな事あったっけ」
「だからほんと大したことじゃないんだけど……絶対に兄さん覚えてないと思った」
「そうなんだ」
「そう、それと。それと……」
あとは、その……。
 言いかけてみて急に、なんだか酷く恥ずかしいことのように思えてしまって律は口ごもる。
「なあに?」
 おとぎ話の続きをせがむ子供のような瞳で、兄はそれを許さない。
「兄さんに何度も名前を呼ばれるのが……嬉しくって……」
「そんなこと?」
「うん……」
 言ってみてやはり律は後悔していた。口に出してみるとてきめんに恥ずかしい。耳が火を吹きそうなほど赤くなっているのが自分でもよく分かる。やっぱり、言わなきゃよかった。後悔先に立たず。覆水は盆に帰らない。虚しく頭に過ぎる慣用句たちも現実逃避にすらなってはくれない。
「律」
 どきり。
心臓の跳ねる音がする。
 甘くくすぐる声の主は、いたずらのあてを見つけた子供のような笑みを浮かべて、目の前に居た。或いは、捕えあぐねていた狩るべき獲物をしかと捉えた狩人のように、と言ったほうが正確であったのかも知れない。
「そんなことなら何度だって呼んであげるのに」
「は。いや、その」
「律」
 恥ずかしい。
 そう、表明することすらも恥ずかしくて、敵わずに黙りこくった律ににじり寄る唇は、唇と、頬とを、あろうことか通り越して、思わぬところを食んだ。慣れぬ場所への、意外と敏感な刺激。何よりも、生々しいゼロ距離からの水音に律の背が、跳ねる。
「耳まで真っ赤にしちゃって……かわいい」
 耳孔から抜き去った、その舌先で上唇をちろりと舐めて、茂夫は言う。
「い、や」
「嫌? ……じゃないよね。だって、」

「ナカ、こんなにうねってる」
「……ッッ!」

 最後のひと雫だ。
 とっくに熟れていた身体の深くへ。
 耳の中に、ささやきを注がれる。白い稲妻に貫かれたように律の体躯が踊る。ひとつの、そういうかたちの生き物のように身体がびくびく跳ねて、捩れる。

 その様を茂夫はつぶさに見ていた。張り詰める筋を、苦悩にも泣き顔にも似た表情も、玉と浮かぶ汗粒も、その全てを目撃してしまったのだ。
 それは茂夫のよく知るひとの、初めて目にする光景で、茂夫は驚きと好奇心を以って見つめていた。そして僅かにもたげた征服欲とが確かに、茂夫の胸の内に去来していた。

「律、りつ。僕の大切な、律」
 荒く、乱れて、上下する薄い胸板に頬を寄せながら、唄うように茂夫は言う。相手にはもう、きっと、聞こえてはいないだろう子守唄の囁きだった。空のままのローション塗れのコンドームを抜き取って、ゴミ箱に投げ入れる。ふちに引っかかってぺしゃりと音を立てる。それはこの際無視をして、眠ったような律の横へ大の字に寝そべってみた。
 隣に触れた右手をそっと、包むように握ってみればしっとりと温かかった。



 火球の如きバスケットボールが猛然と向かい来る。
「影山、パス!」
 バスケ部のエース、西村が放った信頼のボールは律の両の腕に吸い付く。きっかり三歩。ダム、ダム、とリズミカルなドリブル音を体育館に響かせながらガードをかいくぐり、スリーポイントラインに届くか届かないか。縮こませた身体をバネのように跳ねさせる。掌から離れたボールはそう在るべきと定められたよう、ネットの中へと放物線を描いた。
「ナイスシュー!」
 同じチームの声が飛ぶ。それに場外から黄色い声も、いくつか。拭った前髪から汗粒を宙にきらめかせ、律は西村に促されてハイタッチを交わす。それと同時にホイッスルが鳴った。
「三十二対二で黄色チームの勝利です」
 最後にめくられた得点板三枚でついに三十点の大台に乗った。これで四勝ゼロ敗目。クラスの中で圧倒的な実力を誇る通称「西影チーム」は、今回もその強さを見せつけた。
「影山、最後のスリーポイントすごかったよ」
 さっそくの興奮気味に話しかけるのは西村だ。スポーツ少年を絵に描いたら飛び出してきたかのような、快活な人懐こい笑みを浮かべながら律に歩み寄る。
「そう? 岡田があそこで右側に出る癖があるからガード躱すのは楽だったよ。阿部の動きに気を取られた分、踏み切りが浅かったからラインぎりぎりになったしもう少し余裕を持って跳べたら良かったんだけど」
「……その分析ができるだけですげえよお前。というかあれだけガードが付いてる状況からスリーポイント狙って決めるだけですごい。いや、すごすぎる。あーあ。お前がバスケ部に来てくれれば県大会も、いや全国大会だって夢じゃないと思うんだけどなあ」
「何度も悪いけど入らないよ。僕は生徒会で手一杯だからね」
「ごめんって。無理強いするつもりはないんだよ。ただ、もしも、って考えるともったいない気がしてさ。何より夢があるじゃないか。だって影山ほどのプレーヤーが人知れず埋もれているんだぜ?」
「それって褒めてるのか? それならありがたく受け取っておくけど」
「ああ。もちろんさ。俺もバスケ部としては負けてらんねーな。おーし、頑張るぞー!」
 右腕を斜め四十五度に突き上げてぴょんぴょん跳ねる西村におせっかい女子の鋭い声が飛ぶ。
「黄色チーム! 勝ったからって片付け当番サボらないで! 影山くんも!」
 とばっちりを食らった律が恨めしそうに西村を睨む。西村はへらりと笑いながらスクラムを組んできた。まあ、いいかそのくらい。と、されるがままに西村に肩を回された律は、二人でボールを拾い集める。
 その様子を一部カルト的女子たちが血眼になって眺めていたというのは、また別のお話。

 体育倉庫へ入ろうと、出入り口を通り過ぎようとした、その時だった。見知った顔を見つけたのは。
「律」
 その一言に背筋が、髄が疼いて、ひきつけのように身体が強ばる。
「おっ影山の兄貴じゃん。こんちはー!」
「……こんにちは」
 スクラムの隣からは明朗快活な挨拶が。兄、茂夫は少年二人と、天性の天然さで無視しようにもそうもいかない程に色めき立つギャラリーとを、見渡す。平坦な声には感情が、乗っていない。
「えと、兄さん、どうしたの」
不貞のまさにその現場を抑えられたかのように律は狼狽えていた。
「いや、体操靴忘れちゃったから。午後に体育だから昼休みのうち借りようかなって思って」
「えっ! 影山先輩って影山と靴のサイズ同じなんですか!」
律は遮るように、ぶっきらぼうに答える。
「えっ、うん。そうだけど」
「へー! すっげー! 仲良しじゃん!」
 腕を回したまま西村は、のうてんきに腰で律を小突く。その様子を見たギャラリーが息を呑んだのを、律は全力を以て無視していた。
「えっうん。まあ」
「なんだよその反応。良いじゃないか。俺なんて弟とケンカしかしねえぞ。あいつの方が背デカいしさ」
「背はうちもそうだよ」
「そうなんだ?! ……っと、邪魔したな。ボールは俺が片しておくからほらよ、寄越しな」
 有無を言わさずボールを奪い取った西村は鼻歌交じりの明朗に、ドリブルしながら初夏のそよ風のように去っていった。
 残されたるは影山兄弟。
 気まずかった。
「律」
 名を、呼ばれる。呼ばれてしまう。身体が熱い。耳まで登る欲の熱さにまるで内から灼かれるようで。
「律、ねえ、」
 やめて、もうやめて欲しい。高鳴る心臓が耳に煩い。もうやめて。
 そうでないと僕は、もう。
「もう、我慢出来ない」
 いつの間にか両の手首が握られている。きつく、ひしと握られていた。兄の瞳が近かった。西村が去り、ギャラリーも解散し、片付けもとうに終わり人の疎らになった体育館で、心臓の鼓動だけが煩かった。

「ゴム持ってるの」
「うん、内ポケットにいちおう、入れてる」
「へえ……あ、サガミ。ちょっと良いやつじゃん」
「うん」
 体育館の第二倉庫。学芸会か卒業式でもなければ暴かれることはない埃の園の奥の奥、年代物のマットレスに兄弟は営巣した。
「下、脱いで」
 ぶっきらぼうに兄は指示する。
 律は、ありていに言って興奮していた。
 なぜならば。こんなにも興奮した兄を見るのは初めてかも知れないから。
 体操着のハーフパンツを脱ぐ。いっぺんに紺のブリーフも。待ちきれないと言った風に兄の指示を仰ぐ。
「後ろ向いて。お尻、出して」
 おすわりの号令をかけられた犬のように、律はいそいそと地に這いつくばり、兄の方へ尻を高々、突き上げた。合図もなしに粘りのある冷やこいものを菊門にこたねつけられる。思わず尻を引きながら、それが肉体改造部で擦り傷と友達の兄が常備する白色ワセリンであると律の頭は理解していた。
「指入れるよ」
 言うより早く、人並みよりやや太い人差し指の侵入を許していた。不意に咥えこんだモノに慄いて肉の輪がきゅうきゅうと収斂するも虚しく、一番きつい入口を通り過ぎた節だった指はずかずかと、やわこい肉の襞をかき分ける。その甘い衝撃に律は背を粟立たせた。
「きもちぃんだ?」
 律儀な伺いを立てる兄に律はうんともいいえとも返さない。ただ、薄くて張りのある太腿をピンと伸ばして尻を凛々しく突き上げていた。
 後口に差し込まれる指は二本になり、直に三本になった。しなやかな淫肉は慣れたこととして拡張をすんなりと受け入れた。三本指がてんでばらばらに蠢いて、割広げるように指を開く。入り口は、糸を引く蜜をまとってぽかりと間抜けなほどに昏い奥と、艶めく肉色とを顕にしていた。
 律はただ、されるがままを受け入れるだけ。臓物のうちがわに、当たるはずもない外気を受けてほんの少し、内腿を震わせながら。
「もう良いよ」
「ん」
 茂夫は二連綴りの小袋を取り出す。切り離そうとしたミシン目は逸れ、中身ごとビニールを裂いた。律は片方残った最後の小袋をひったくると器用な先細の指先で破る。取り出したゴムは兄のもの、ではなく自らの口先へ。
精液溜めを唇に咥えて、痛々しいほどに屹立した兄のさきっぽへキスを落とす。ふわりと着地した亀頭の先を、指で作った輪っかに捉えてしごきながら一気に呑み込んで、根本まで、ずっぽり。降ろされた唇を抜き去る。小さく咳き込みながら律は手の甲で口元を拭うと、涎が一筋、糸を引く。とり残されたペニスには乳白色のコンドームがぴたりと被さっていた。
 兄が来る。律を、律ただ一人を捉えて、肩が押される。背がマットレスに衝突して、埃が舞う。律がごくわずか、口角を上げたことにきっと兄は、気付かない。
 充てがわれたペニスは滑って逃げた。ふうふうと兄の息が荒い。すう、はあ。ふう、はあ。兄の吐く息へ合わせて、律は大きく息を吐く。そうして兄の剛直へ手を添えると、自らの後口へねじ込んだ。
 挿れてしばらくは、二人の息遣いだけが聞こえる。先に動いたのは茂夫だった。焦らされて根負けしたと言っても良い。あたたかな弟に包まれて、もう限界だった。
 直情的に打ち付けられる重みが腰に響く。十二分に潤滑を得て抽挿が開始される。本気になってくれたらしい兄の様子を視界いっぱいに収めて、幸せだ。

「誰か居ますかー?」
 そんな折であった。
 思わぬ声がかけられたのは。
「こんなところ本当に人居るー?」
「だって声がした気がしたんだぜ」
 声の主の片方は律と同じクラス、バスケ部の西村であった。もう一人は確か、バスケ部の、誰か。名前も思い出せず顔もおぼろげだが、声には聞き覚えがあった。
 にいさん。縋るように、頼りげなく呼ぼうとした声は大ぶりの手に塞がれてかき消えた。宵闇に警戒する野生動物のように兄は遠くを見やる。逆光に浮かび上がった茂夫は黒々と影を落としてそびえている。
「にいさ、」
「静かに」
 兄が寄る。近くに居て、重くて苦しい。
そうじゃないってば。そう伝える事もできずに。あろうことか、茂夫は尚もずいと寄って来た。そうして口に人差し指を添えて耳打ちをした。
「静かにして、律」
 律。その呼び声が律を震わす。とたん、胎に呑み込んだ逸物がじわりと熱く感ぜられて、思わず喉笛はヒィ、と鳴いた。寄りかかる体重が、より結合を深くする。
 律。その一言がトリガーだ。より深く、重く抉られた柔肉が悦楽をじゅるじゅると貪って、かの呼び声が胎内に反響する。
「誰かー本当にいませんかー」
「もうやめようぜ。誰も居ないって」
「そう? 今なんか聞こえなかった?」
「えーマジで言ってるそれ? 幽霊かなんかかよ」
「なんだよお前ビビってんのか」
「ビビってねーよ」
 コツコツと。靴音が近づいてくる。
 ああ、神様。いや、幾星霜鎮座しているのかも分からない、絵の具がひび割れた西洋城の大道具のベニヤ板様。どうか僕らを隠してください。
 現金な祈りを捧げながら律は、重苦しい甘い痺れに身を捩った。
「律」
 今度こそは確信犯だ。
 囁いた兄は耳を食む。律の身体がビクビクと跳ね、のしかかる茂夫を跳ね飛ばすほど。それを茂夫は抑え込むよう、逃さず抱きしめる。なおも耳を食みながら。耳の溝をちろちろと、その甘さを愉しむように。
律の息がぶつ切れの飛び飛びになる。乗せた茂夫の体重を物ともせずに背が仰け反る。最後に残された理性のひと欠片で声だけは、どうか声だけは出さないように、喉を引き攣れさせて押し止める。
「うわー……不気味な城」
「ほんとにお化け屋敷か魔王城みたいじゃん」
 くそ! のんきな奴らめ! 
 魔王城にエーテル買い忘れて乗り込んで気付いたときにはMP不足で回復間に合わずに全滅してしまえ! 
悦楽と恐怖と羞恥と期待と困惑と、憤怒。ぐちゃぐちゃになって行き場の無くなった感情の発露に、精一杯の口汚さで心の内に罵った。無論、何も知らない彼らにはとばっちりも良いところだ。
だが、それもほんの一瞬のことだった。
「律」
 兄がいる。兄だけが、僕には居る。
 兄を見る。それが律の必要十分だ。
 律。その一言が雄弁に語っていた。
 茂夫は怒っている。律が自分から注意を逸したことに。茂夫は悲しんでいる。律が自分以外の存在を思い浮かべたことに。茂夫は落胆している。律の意識を奪った他者の存在に。
 茂夫は期待している。律に。
「律」
 名を呼ぶ。耳元へ、これ以上無いくらいの至近距離で。囁きは髄を焼き切り、シナプスが甘く脈動する。
 瓦解する。理性が、快楽が。最後の支えを一息に吹き飛ばされて放電する。不本意に閉じ込められ、鬱屈し、とぐろを巻いた甘美な稲妻が奔放に駆け巡り、女郎蜘蛛のように律の体躯を捉えて。
 解放の時は、いま。

「あ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁァァァァーー♡♡♡」
「うわあああああああ」
「出たああああああああああああああ」

 細い喉笛が咆哮する。変声前のソプラノを濁す。
どたどたと慌ただしく遠ざかる足音と共に。
壊れてしまったみたいにガクガクと震わされる身体。そこへ茂夫は容赦なく耳孔に舌を突き入れて、じゅるじゅると音を立てて犯す。ようやく邪魔者は居なくなったとばかりに、追い打ちをかけて打ち付ける肉と肉とがパンパンと、小気味よく鳴く。
「お、お゛お゛っ……あ゛……があ゛あ゛……」
 既に意識の飛びかけている弟が、打ち付けられたその分だけ身体をモノみたいに揺さぶられながら、声にもならない音を漏らす。
 茂夫が律にむしゃぶりつく。両の膝をひしと掴んで抱え、抽挿が深く、深く。小刻みになり、最愛の弟の胎内の、奥の奥へ、押し広げる。
「うっ、うぁ……はあ、はあぁっ」
「あ……お゛あ゛ぁ…………」
 舞い降りたのは静寂だった。
 何もかもが、身体が心も、真っ白に塗りつぶされる。
 引き攣れて、扱き上げて、吸い付いて離さないナカ。熱くぬらぬらと茂夫の陰茎を掴み込んで、淫靡にその剛直の質量と、熱量とを、媚び求める。
 理性も感情も真っ白に染め上げられて、茂夫は乞われるがまま、本能のみで腰を打ち付ける。一体どれほど出るのだろう、精巣の中身が空っぽになってしまいそうなほど、吸われるがまま射精が続いて止まらない。
 寄せては返し、返してはまた寄せる。終わりの見えないオルガズムの波間で溺れて、少年の体躯は二つ、脈打つように痙攣していた。

 やがて静寂は破られる。
 ぜえぜえと荒い呼吸が肺に障る。二人分の息切れが騒がしい。甘いまどろみは尾を引きながら、熱はいつかは冷却されて、急速に迫ってきた現実に理性は冴え、絞られてピントは合い、リアルの解像度が研ぎ澄まされる。
 後悔は、無かった。むしろ充足感すらあった。
 倒れ伏した弟の、未だ余韻にひくついている緩みきった後穴から、茂夫は自身のモノを抜く。陰茎の形に続いてたっぷり膨れた精液溜めがぬぽりと覗いた。慣れた手付きでゴムを結んでしばし考えてから、とりあえずのところは、ティッシュに包んでポケットに忍ばせておく事にする。上着の袖口についた埃を軽く払うと、弟の尻を軽く拭ってやり、脱力しきった肢体に布を元のように纏わせてやる。そうして終いには自分の上着を脱いで弟に掛けた。

 チャイムが鳴る。給食の始まりを告げる合図だ。すっかり忘れていたけれど給食当番じゃなくてよかったなあ。僕の分あるんだろうか。まあ、無くてもいいかな。そんなことを茂夫はのんびり考える。
 あの二人は悲鳴を上げて走り去ったまま、戻ってくる気配はない。
 遠い人いきれ。車のクラクション。カラスの鳴き声。風にざわめく木々の葉。全てが遠くて、隔たれた向こう側の世界のことのようだった。埃っぽい巣の中で兄弟、二人っきりだった。


 日は変わって、次の体育の時間のこと。
「なあ聞いてくれよ影山。塩中の七不思議だぜ」
 青チームと赤チームの試合中、快活な笑みの似合う人懐こい彼は、トップシークレットとばかりに律にうやうやしく耳打ちした。
「へえ……何の話?」
 対する律は相も変わらずそっけない。そっけないなりに、幾度も西村から声をかけられるうち対処法も体得していた。
 まずとりあえず返事はしておくこと。無視をすると、「相手にしてもらえない」状況が苦手な彼を余計に躍起にさせてしまう。第二には続きを促しておく。雑でもなんでもいいから話をさせておけば、話すだけ話して勝手に満足して帰っていくから。別に真剣に聞いてやる必要はない。大抵、興味も湧かないどうでもいい話ばかりだから。
 西村がずいと近寄ってくる。こいつ本当にコンフォートゾーンおかしいな。律はそう思いながら僅かだけ仰け反り距離を開けた。
「体育館の第二倉庫に、マンドラゴラのユーレイが出るんだぜ!」
「ブフゥッッ」
「な、どうした影山?! もしやなんかの発作か? 大丈夫か?!」
 明後日の心配をする西村を無視して律は自分に言い聞かせていた。

 大丈夫だ影山律まだバレたと決まったわけではない落ち着けそうだだって僕の名前はまだ出ていないじゃないかというかよりによってマンドラゴラってなんだよ僕の声がそんなに酷かったと言いたいのかいやそうじゃないだってあれは僕じゃないそうだ僕じゃないことにしておかなくてはこんな口の軽そうなやつにバレたらどんなことになるやら分からないぞ。

「おーい、影山? おーい」
 現実世界に帰ってこない律にしびれを切らした西村が頬をつついてようやく律は我に返った。
「……で、なんだって?」
「立ち直り早っ。まあいいや、そんなことよりな。俺、聞いちまったんだよ! 普段使われることのない第二倉庫の奥深く、割れたカラーコーンの破片を踏みしめひしゃげたパイプ椅子を乗り越えてようやくたどり着けるはそびえ立つ悪魔城! その薄暗い魔境に足を踏み入れた瞬間!」
 律は芝居がかった言い回しにうんざりしつつ、どういう顔をしていいやら全く分からなくなりながら、機械的に頷いた。
「とんっでもない悲鳴が聞こえたんだよ。悲鳴というか雄叫び? みたいな。あれはこの世のものじゃなかったね。俺と角田は本気でヤバいと思って全速力で逃げたんだがその時の記憶がおぼろげでさ。二人共気が付いたら教室まで戻ってきてたんだよ。あれはそう、マンドラゴラを抜いたに違いない!」
「へえ……うん……そうなんだ…………」
 な? 不思議だろ? そう言わんばかりに迫りくる西村を律は微妙な面持ちで制した。
 こいつ。人のイク声をこの世のものじゃないとか言いやがって……。僕だって必死だったんだぞ。
 いや、別に。僕じゃないけど。
「なんだよ律はいつもつれないなあ」
「お前の距離感がおかしいんだ」
「えーそうかなあ」
 人好きのする顔立ちに、にこにこと笑みを浮かべながら悪びれることもない。というかこいつ、彼女……どころかもしかして、AVとかも見ないんだろうか。一度気付いてしまったらそんなどうでもいいことの方が気になって仕方ない律であった。


「って言うことがあってね」
 律は話した。西村というやたら人懐こくてウザいやつのこと。この間のセックスを聞いていたのは彼ということ。その語り口調は非常に失礼だという私感も含めて。
 茂夫は自身の勉強机に座ったまま、黙って聞いていた。無言で、無表情だった。話し終えてきっかり五秒、長く重たい時間を経て口を開いたのは兄だった。
「西村くんと仲良さそうで良かったね」
「え? いや話聞いてたの、兄さん」
「この間も肩組んでたし」
「なに、兄さんもしかして。あんな奴に嫉妬してるの」
 茂夫は答えない。その瞳も暗く凪いでいて、感情の熱を灯さない。
「だってすごく良いひとみたいじゃないか。律にあんな友達がいてよかったよ」
「だから違うってば」
「そうなの?」
「そう」
 へえ、と茂夫は抑揚無く言った。痛くもないはずの腹を探られているうちに痛い気がしてきたような、奇妙な気持ちになりながら律はふう、とため息を付いてから口を開いた。
「で、学校でのことなんだけどさ」
「うん」
「もう、ああいうのはやめにしようよ……」
「ああいうって?」
「分からないの?」
「うん」
 キョトンとする茂夫にしびれを切らして律は叫んだ。
「人の来るような場所でセックスすること!」
「何だそんなこと」
「そんなこと、って……」
 絶望したように律は言う。人前でのセックスをそんなこと呼ばわりとは、兄の天然さもここまで極まったものかと、がっくり項垂れた。
「だって、ねえ? てっきりこっちの方かと思ってたけど……ね、律?」
 項垂れていた律の背筋が痺れる。甘く、甘美に麻痺する。律。その一言がトリガーだ。たった二音、兄に呼ばれてしまうだけで律の身体は準備を始める。
「ねえ、律」
 その一言はスイッチだ。呼ばれるだけで、身体が火照る。斜め下、フローリングを見つめたまま視線が定まらない。たった二回、名を呼ばれただけで律は兄の敷きっぱなしの布団に膝をついていた。
「律」
 兄の声が脳髄を鷲掴みにして、ぐらぐら揺らして支配する。確信犯的に呼ばれるその声には律を服従させるに十分な兄の意志が含まれていた。その呼び声は律にとっての絶対であった。何よりもそれを律自身が望んでいた。なぜならば。
「律、そんなにいやらしくってどうするの」
 兄の号令に従えば、きっと必ず、気持ちよくなれる予感がしていたから。

「律、下脱いじゃおうか」
 茂夫は優しくしかし毅然と、ぐずる幼子へ声をかけるように号令した。律は夢うつつズボンに手をかけるが、ぼんやりとした意識の中でボタンも開けないで降ろそうとしてしまって上手く行かない。
「あ、ええと……こうかな。律、ボタンを外して。そうして右足、左足と足を抜いて。……そう、上手だね」
 褒められて律の身体はわずか痙攣した。青のブリーフはこんもりと膨らみ、カウパーが染み込んで色濃くなっている。たったズボンを脱がせただけのことで軽く達した弟の様子に、茂夫は目を見張っていた。
「もしかして律は、触らなくてもイけるのかな」
「あ、……ぁ、にいさん、」
「うん、律、気持ちよくなろうね」
 藁にも縋るような弟へ、兄は柔和に微笑んだ。
「大丈夫だよ、布団にねんねして。息、苦しそうだね……。吸ってー……吐いて。そう上手だよ。力を抜いて、リラックスして。……いや、このほうが良いか。……右手がだんだん、力が抜けて重くなる。力が抜けて気持ちいいね」
 気持ちいい。そのワードにひくひくと反応するのを茂夫は目ざとく観察していた。
「気持ちいい、だけで律は気持ちいいんだね」
「きも……ひあ、あっ♡」
 抜けたところもある茂夫だが、弟に対しての勘というのは一級品であった。いつだって弟への大正解を引き当ててしまう茂夫に、律はさながら心臓へ切っ先を突き立てられたような気持ちがしていた。
「律、大丈夫だよ。律の安全地帯は、僕だ」
 頑なな、決意めいた呟きを茂夫は零した。それから茂夫は再び律へと向き直ると、この世で一番やさしい微笑みを浮かべた。
「律、たくさん気持ちよくなろうね」
「ひゃい……」
「律の手も足も頭もお腹もちんちんも目も耳も鼻も歯も髪も、ぜーんぶ僕のだ」
「あ、ぁぁ」
「だからぜーんぶ、気持ちよくなろうね」
「っあ! ぁ、」
 ビクビクと痙攣を繰り返して軽くイく律の隣へ茂夫は寝転んだ。そうして、寝る子をあやすように耳の中へと囁きかけた。
「まずはパンツ脱いじゃおうか。右足を抜いて、左足を抜いて、そう、その調子。いい子だね」
 ぶるりと跳ね上がった一物は我慢汁でもう、とろとろ。恍惚の中で兄に褒められることがくらくらするほど幸福で、律は一筋よだれを垂らした。
「さ、律。目をつぶって。……ダメだよ、僕のなんだから勝手に手を動かしたりしちゃあ。お腹も、手も足も、ぜんぶ僕のだ。全部、僕のもの。だから僕の言うとおりだよ」
 視界を奪われた上、四肢の自由まで取り上げられて律は、最高に興奮していた。五体の全て、神経が全て兄に繋がって、操り人形の糸のように握られたような錯覚がして最高の気分であった。
 否、錯覚などではない。今の、いわば深いトランス状態、催眠状態に入った律にとって、兄に直接きもちいいの神経を握り込まれていることは、紛れもない事実であった。だって。
「律、大丈夫だよ。あたたかいね、気持ちいいね」
 そう言われただけでもう、身体が、お腹の底からぽかぽかと暖かくて気持ちよくって、絶頂しそうだった。どうにか達しきってしまわずにいるのは、兄ならばもっと、もっと高みへ連れて行ってくれるという信頼だった。
 律。その一言がトリガーで、その一言はスイッチだった。ただ、その一言だけで、律は兄に全てを委ねる。その一言で律は兄とどこまででも行ける。兄を信頼し、もっと気持ちよくしてくれるに違いないと確信している弟と、弟を最高の高みへと連れ去りたい兄による、双方の貪欲さ故に自然発生してしまった催眠セックスであった。
「律のちんちん、ビクビクってしてるね。でも、ちんちんは触っちゃダメだよ? だって律は……こっち、好きなんだもんね」
「っか、はあぁぁあ!」
 目を閉じた暗闇の中、下腹が灼けるかと思われた。それは、兄が下腹に、年の割に大ぶりでいつも暖かな手のひらを乗せたのだと理解するまでに、幾度も軽く達してしまった。
「律、律。そうなんだね、気持ちよかったんだね。よかった、律。でももっと、もっと気持ちよくなれるよね?」
 茂夫は、手のひらを当てたまま喋る。しっとりと吸い付くその手のひらの当たる部分が強烈な性感帯となってしまったようで身を捩ろうにも、しかし脱力してリラックスしきった身体は言うことを聞かず、金縛りにあったまま性感を注ぎ込まれているようで、苦しくて、とても、気持ちが良い。
「律のお腹の中、あたたかいもんなあ……浅いところも意外と、好きなんだよね。ふかふかで、とろとろの場所。小刻みにつつくのも好きだよね。でも、思い切り押し込まれるの、もーっと好きだよね?」
「あっあ♡ ああ♡」
「それとも奥の方をコンコンされたいかな? 律の一番奥、ふわふわで、きゅうってうねってて気持ちいいな」
「あッ! あっあ♡ ……あんあんああぁぁ♡♡♡」
律の脳裏にはいくつもの兄との交合がありありと浮かんでいた。ガツガツと欲のままに掘られた日。ねっとりと良いところだけを狙って突かれた時。浅い入り口だけを焦らされて、奥の奥へありもしない胎をかき分けるような、あの日の、セックス。聡明な律の脳には数多のセックスが鮮明に刻みつけられていた。その全ての日の兄の一物に攻め抜かれているような幻覚がして、お腹の中がめちゃくちゃに疼いて、律はだらしなく嬌声を漏らした。
「律はたくさんの気持ちいいを知ってるね。……でもね、律はもっともっと気持ちよくなれると思うんだ」
 なおもお腹に手を当てながら茂夫は言う。
「僕らがもっと大きくなって、僕のちんちんだってきっともっと大きくなってさ。そうしたら律のもっと、もーっと置くまで届いてあげられると思うんだ。律のお腹のもっと奥。律も知らないところだよ? そうしたらどんなに気持ちいいかな……?」
律は想像してしまった。その豊かな発想力で。律のお腹のもっと奥。直腸よりも深くて弱い、大切な、臓物。まだ二人共知らない場所。そこを兄の剛直で自在に突かれるということ。それはきっと。今より、ずっと。
「気持ちいいね、律」
「お゛お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあぁぁぁ♡♡♡」
 律は咆哮した。自身が咆哮しているという自意識さえ飛んでいた。
 気持ちいい、気持ちいい! 兄の音声がリフレインする。リミッターの外された律の脳内に刻み込まれた気持ちいいこと、例えばそれは兄とのセックス、あるいは春の夜風。風呂上がりの暖かな気だるさ、そしてミントグリーンのブランケット。そういった感覚の全てが兄の号令によって励起されて律の脊髄を灼いていた。
 茂夫は律のその様子を、余さず、つぶさに見つめていた。射精もせずに脈動するその肢体を、抑圧から開放され、いつまででも続く淫らな呻きを、聴いていた。
 律はやっぱり、すごいや。茂夫の胸に改めて去来したのはそんな思いだった。無駄のないしなやかな身体が筋を痙攣させながら、あるいはおおらかにくねらせながらエクスタシーに感じ入る弟の様子を、茂夫は美しいとすら感じていた。
 押し寄せた津波が幾度となく寄せては返し、やがて鎮まってゆくように、長い、長い律の絶頂もやがて終わりを迎えようとしていた。茂夫は目前で揺らめく律の耳たぶに、小さくキスを落とした。


 夢を見ていたようだった。
 身体だけが重くて気持ちはふわふわと浮ついたような、不思議な感覚。海から抜け出した後の眠たいような不安なような感じが一番近いのかも知れない。律は霞む目を凝らすまでもなく、覗き込んでいるその人へ声をかけた。
「にい、さん……?」
「うん、律」
 茂夫は、それはもう、満足そうに返事をした。
「よく眠っていたね」
「うん、んぅ……」
「まだ怠いかな……寝てていいよ」
 律はおぼろげな意識の中で何が起こったのか、記憶の糸を手繰り寄せて事を思い出していた。確か兄に名を呼ばれて。たったそれだけのことで身体がおかしくなって、あとは兄さんの言う通り、どんどん身体が火照って止められなくなって、それから。
「……兄さん、いつあんなこと覚えたの」
 おでこに手の甲を当てて頭を冷やしながら、律は言う。それは精一杯の反抗のつもりだった。
「いつ? って? 律が一番気持ちよくなれそうなことをしただけだよ」
「……これだから兄さんには敵わないよ」
「それってどっち? 褒めてるの?」
「そっち」
「そっかあ」
 投げやりな返答をどう受け取ったものやら、心無しか誇らしげな兄を見る。律は今、幸せだな、と心の底から思った。